おてんば娘の志田友美もこの夏、独立「『鎧武/ガイム』の現場は"家族"であり"教室"でした」

かつて『仮面ライダー鎧武/ガイム』にヒロインの高司 舞役で出演。

その縁から週刊プレイボーイと、そしてグラビアとの出会いが始まった志田友美(しだ・ゆうみ)さんが、9月13日(月)発売『週刊プレイボーイ39・40合併号』のグラビアで約1年ぶりにカムバック。

当時まだ16歳だった彼女は現在24歳。......はい、女ざかりです。

* * *

■監督にものすごく怒られました

――今号はグラビアのラインナップも仮面ライダーにゆかりのある方ばかり。志田さんをお呼びしないわけにはいかないだろう、ということで久しぶりのご登場でした。

志田 私が『仮面ライダー鎧武/ガイム』のヒロインに決まったことで、週プレさんとのご縁が始まったんですよね。当時まだ16歳。

――早速ですが、仮面ライダーの思い出は?

志田 ほぼ記憶ないです。

――それくらい大変だった?

志田 毎日撮影してましたからね。もともと、オーディションだって受かると思ってなかったんですよ。名前呼ばれるときも私、ひとりだけウトウトしちゃいまして......。完全に記念受験のつもりだったのに受かっちゃって、驚きました。初めて岩手から上京して、(東映の撮影所のある)大泉学園に賃貸の部屋を借りて、ひとり暮らしを始めて。

――撮影所のすぐそばで?

志田 そうです。ライダーの撮影に遅刻して、監督がインターホンの前に立ってたりしたこともありました。

――監督には普段からかなり厳しく指導されたんですか?

志田 かなり厳しく指導されてました。男女関係ないんです。ダメ出しされまくりです。監督が納得いくまで何度もやり直しがありました。

――演技とかセリフとか?

志田 もっと泣け!とか。あと、一回だけ、なぜかわからないけど簡単なセリフが何度やり直しても全然出てこないことがあって。五十何テイクまでいっても出てこなくて、それで撮影中止になったこともありました。そのときも、当たり前ですけど、かなり怒られましたね......。

ライダーの現場って体育会系って前々から聞いてはいたんですけど、噂どおりでした。でも、芸能界で生きていくための基礎を叩き込んでもらえた、そんな貴重な1年間でした。仮面ライダーがなければ、ずっと自分に甘えてたと思います。あらためて振り返ると恥ずかしいですけどね。今、作品を見返して、同じことをやれと言われても絶対にできないですし。若さがあったし、好奇心もめちゃめちゃ旺盛だったので。

――今のほうが臆病?

志田 そうですね。いろいろなことを考えるようになりました。当時は本当に普通の高校1年生で、共演の方とかスタッフさんにも甘やかされてたと思います。ひとりだけ群を抜いておてんばでした。

当時のPのモッチー(※望月 卓、『仮面ライダーリバイス』チーフP)にも、いつも「静かにして!」って怒られてました......。本当に家族のようであり、学校の教室のようでもあった、私にとっての『鎧武』はそんな現場でした。

――志田さんの青春だった。

志田 はい。

――そんな志田さんはこの夏から所属の事務所を退社して、独立。再出発しました。その心は?

志田 けっこう前から決めてたんですよ。いろいろなところからスカウトの話もいただいてたんですけど、一回、ひとりでやってみたくて。今って、フリーランスの時代とかいうじゃないですか。「風の時代」って。

――SNSも発達して、自分で発信する手段もあるから?

志田 そうですね。「一回自分自身でやってみたら、どういう気持ちになるんだろう」って、知りたくなりました。

――じゃあ、引退するという気持ちはなかった?

志田 それはありませんでした。今辞めても、後から「また復帰したいな」とか思うんだろうなって。だから自分なりのやり方で、老いがくるまでやってみようと思います。そうだ! これからは請求書も自分でやらなきゃいけないんですよ。

――そんなことできるんですか?

志田 ゼロ1個多く請求しちゃうかも。

――やめて(笑)。

(スタイリング/小山田孝司 ヘア&メイク/奥平正芳) 

●志田友美(しだ・ゆうみ) 
1997年2月11日生まれ 岩手県出身 身長161cm 血液型=AB型 
○希望郷いわて文化大使、近畿地区自動車整備連絡協議会サポートガールとしても活動中。
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