『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』矢西誠二 編 第三話「ルーツを知る」 師匠・渡辺達生氏から受けた影響は「写真やカメラ(機材)への愛です」

あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。


第20回目のゲストは、矢西誠二氏が登場。取材は、氏のお気に入りの場所である吉祥寺・井の頭公園にて。タレントの作品撮りを精力的に投稿しているインスタグラム、グラビアの現場であえて使用されるフィルムカメラなど、その独自のこだわりを聞いた。


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——大阪の写真学校卒業後に上京し、代官山スタジオに就職された矢西さん。後に師匠となられる渡辺達生さんと出会われたのも、スタジオマン時代だったんですよね。


矢西 そうです。僕がいた頃の代官山スタジオは、渡辺さんのほかに、長きに渡って大物アーティストを撮影されているカメラマンさんと、スーパーモデルブームだった当時、ナオミ・キャンベルやケイト・モスなどが一斉来日した際、日本を代表して彼女らを撮影したカメラマンさん、この御三方の現場が多くて。グラビア、音楽、ファッション、各ジャンルの第一線で活躍されている方々です。当然、どの現場も刺激的でした。その中で、僕がいちばん「弟子入りしたい」と思ったのが渡辺さんだったんです。


——もともと代官山スタジオに就職されたのは「大手クライアントの現場がたくさんある」ことが理由のひとつだったとうかがいましたが、本当に時代を彩る貴重な現場が多かったんですね。その中で渡辺さんに弟子入りされたいと思われたのは、グラビアに興味を持たれたということなんでしょうか?


矢西 写真学校時代に橋口譲二さんに惹かれたのと同様に、渡辺さんという人間に興味を持ったんですね。渡辺さんは、空き時間があると、スタジオマンにも気さくに話しかけてくださる方で。モデルさんの準備ができたら「あいよー」と現場に出て行かれて、シャシャシャっと良い写真を撮られるんです。その身軽だけど、写真でしっかりキメる姿勢に、ものすごく憧れました。


——おぉ〜! 渡辺さん、カッコいいですね。


矢西 それに、やっぱり写真が良いんですよね。渡辺さん写真って、男性にしろ、女性にしろ、ちゃんとその人の素顔が写っている気がするんです。現場を見させていただくと分かるのですが、限られた撮影時間の中で、被写体の方の気持ちを和らげるのがとても上手いんです。最初は緊張されているモデルさんでも、渡辺さんが現場に入ると、自然な笑顔が溢れてくる。そういう場面を何度も目撃しました。渡辺さんの仕事、渡辺さんの人柄をもっと知りたい。その一心でしたね。正直なところ、当時、女の子のグラビアを撮りたいって考えは、ほぼなかったです。


——ちなみに、渡辺さんに弟子入りされたいと思われたのは、スタジオに就職されてどれくらいの時期だったんでしょうか? 


矢西 スタジオには3年ほど務めていたのですが、在籍して半年くらい経った頃には、渡辺さんのもとに弟子入りしたいと考えていましたね。ちょうどスタジオの先輩が渡辺さんに弟子入りされるタイミングだったので、その先輩と「(渡辺さんのアシスタントは)二人体制だから、お前、俺のあとに入ってこいよ」「はい、是非!」なんて話を勝手にしていたんですけど、そのやり取りが渡辺さんの耳に入って、直々に一度断られてしまったんです(笑)。


——あらら……(汗)。


矢西 まぁ、まだ就職したばかりの新人だったし、「もっとスタジオで勉強してからでも遅くないんじゃない?」といったニュアンスだったと思うんですけど。その後しばらくして、ありがたいことに、先程お話しした音楽カメラマンの方とファッションカメラマンの方から、アシスタントにお誘いいただきました。でも、渡辺さんへの僕の思いは変わらず。改めて渡辺さんにお声がけし、正式に弟子入りさせていただくことになりました。


——スゴい話ですね。もう二方のカメラマンさんに弟子入りされていた可能性もあったと考えると、渡辺さんへの弟子入りは、まさに運命の分かれ道だったというか。


矢西 そうですね。ただ当時は、渡辺さんのもとを卒業された先輩方の進路もさまざまで。確かに僕の後輩たち(樂滿直城/LUCKMAN氏、藤本和典氏、佐藤佑一氏など)は、グラビアをメインに仕事をしている人が多いんですけど、逆に先輩方でグラビアをメインにされている方って、意外と少ないんですよ。だから、弟子入りされてもらった時点では、渡辺さんの弟子になる=グラビアカメラマンになる、という発想でもなかったですね。同行させていただく現場は、圧倒的にグラビアが多かったですけど。


——そうだったんですね。ちなみに、矢西さんが渡辺さんから受けた影響の中で、いちばん今に繋がっていることといえば? 


矢西 現場での立ち振る舞いや人柄はもちろんですが、あえて、いちばんを挙げるとしたら、やっぱり写真とカメラへの愛じゃないでしょうか。渡辺さんって、誰よりも写真が好きだし、めちゃくちゃカメラオタクなんですよ。僕が渡辺さんにお世話になった約3年間で、何度もメインカメラが変わりましたからね。アシスタントとしては、カメラが変わるたびに扱い方を覚えないといけないので大変だったんですけど(笑)、いろいろ触らせていただけたのは、スゴく勉強になりました。実際、今の僕は、周りのカメラマンたちと比べても、かなり機材にこだわっているタイプだと思いますし。


——この取材にも、わざわざフィルムカメラを持ってきてくださいましたもんね。その後、渡辺さんのもとから独立され、カメラマンとしてお仕事をされていくと思うんですけど、具体的に「グラビアを撮りたい」と思われたのは、いつ頃だったんですか?


矢西 独立する頃には思っていましたよ。グラビアというか、渡辺さんみたいに、グラビアを主軸にいろんなジャンルで撮っていきたいって感じでしたけど。ただ、特に最初の5年間はなかなかチャンスに恵まれなかったですね。駆け出しのカメラマンに良くあるパターンで、情報誌の取材ページや記者会見、舞台挨拶などが多かったです。


——グラビア誌を扱っている出版社に営業はされていたんですか?


矢西 もちろんです。営業へ行くたびに「渡辺さんっぽい写真だね」と言われていましたけどね。要は「だったら、ホンモノ(渡辺達生氏)に頼むよ」ってことです。自分らしい写真を撮らなきゃ意味がないと分かってはいたものの、アシスタント期間は、渡辺さんが撮られる“正解”を近くでたくさん見てきたわけですから、どうしても、自分らしさに一歩踏み出せないところはあったんですよね。きっと、カメラマンのアシスタントを経た多くの若手が陥る課題だと思うんですけど。


——思うようにいかない中で、“ご自身の写真”みたいなものは、どのようにして見つけていかれたんですか?


矢西 うーん。「いまだに自分の表現なんてない」のが本音ですかね。昔は、流行を意識したり、レンズを変えたりしながら表現技法を探りましたけど、僕は、クリエイターではないし、その時代、その媒体で必要とされる表現をカタチにするのが仕事なので。“渡辺さんっぽさ”が抜けた理由としては、個人でグラビア以外の撮影を多く経験したことが大きい気がします。世界各国へ行って、あらゆる観光名所を撮ったり、有名レストランのシェフを撮ったり、グラビアとは違う環境で撮影を繰り返すうちに、徐々に“自分らしさ”が出てくるようになったのかなと。実際、仕事はどれも楽しかったですしね。


矢西誠二 編・第四話は4/28(金)公開予定! 氏が当時の週プレ編集部員から学んだこと「自ら提案した撮影がうまくいかなったときに『どんどん失敗してください。失敗する中に良い写真があるんだから』と言われたんです」


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矢西誠二プロフィール

やにし・せいじ ●カメラマン。1972年生まれ、徳島県出身。

趣味=作品撮りの撮影(作品はインスタグラムをチェック)

カメラマン・渡辺達生氏に師事し、1999年に独立。

主な作品は、片岡安祐美「TOUCH UP!」、飯豊まりえ「NO GAZPACHO」、森咲智美 「T&M」「Utopia」、坂ノ上茜「あかねいろ」、北向珠夕「M~気の向くままに~」、竹内花「花の蜜」など。

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