『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』中村昇 編 第三話「こだわりを知る」 週プレ異動後に東欧で撮影した美女のヌード写真シリーズの思い出「お腹に盲腸手術の傷跡があっても、それが美しいんじゃない」

あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。


最終回のゲストは、集英社の社員カメラマンとして1970年代より『セブンティーン』や『月刊プレイボーイ』、『週刊プレイボーイ』などで活躍を続けた中村昇氏が登場(2008年に定年退職後、現在もフリーのカメラマンとして活動中)。写真とは? ヌードとは? グラビアとは? 印象深い仕事を振り返るとともに、今の思いを聞いた。


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——ヌードが撮りたかった中村さんにとって念願だった『(週刊)プレイボーイ』への本格的な異動は、『週刊セブンティーン』(現在の『Seventeen』)編集部、そして集英社スタジオの立ち上げを経たあとに、ようやく叶えられたんですね。計算させていただくと、当時の中村さんは49歳です。


中村 異動させてもらってからは、ずいぶん自由にやらせてもらいましたよ。例えば、編集部内の会議で決めた台割り(各ページに掲載する内容)を、入稿前に、勝手にデザイナーと変えちゃうとかね(笑)。


——えぇー!? (グラビアの台割りの決定権を持つ)副編集長への相談も無しに、ですか?


中村 そうそう(笑)。というのも、編集者に素材を渡すだけのフリーカメラマンが多い中、僕は社員ということもあって、担当の編集者と一緒にデザイナーの事務所に行って、デザインのことまでアレコレ言っていたわけですよ。デザイナーには「うるせぇなー」と思われていたかもしれないけど、全部終わった後に、みんなで飲みに行くのが楽しくてさ。


いつものように、デザイン事務所で写真を組んでいるときに、一緒にいた編集者が「昇さん。今回、写真が良いから巻頭8ページだけじゃもったいないですよ。次の5ページまで使って、13ページで組んじゃいましょうよ」なんて言うわけ。会議で、僕が撮影した女優Aは巻頭8ページ、別のフリーのカメラマンが撮影した女優Bは次の5ページと決まっていたのに、だよ? 


まぁ、副編集長には怒られましたよね。「何のための会議なんだ!」って(笑)。ただ、当時の副編集長は、会社の同期で仲も良かったから、しょっちゅう言い合いもしていましたよ。自由でしょう? 


——じ、自由すぎます……! 今じゃあり得ない話です(汗)。


中村 編集者も、二日酔いで現場に来ないなんて、よくある話だったからね。面白いよね。今じゃ考えられないかもしれないけど、酔っぱらって喧嘩して、2〜3日会社を休むとか。そんなやつばかり(笑)。でもね、みんな良い人たちなんですよ。いい加減なところはあっても、根っこにある情熱はちゃんと感じられる。そんな人たちに囲まれて、定年退職するまで楽しくやらせてもらえたのが週プレ編集部時代。良い時間でしたよ。 


——それだけ自由な人たちが集まっていたからこそ、作れたページもあるんだろうなぁ……。ちなみに、週プレ編集部時代の中村さんの代表作といえば、ロシアをはじめとする東欧美女のヌードグラビアシリーズですよね。これは、どういった経緯で撮影をすることに?


 

東欧美女ヌードをまとめた写真集・第3弾『ANGELS IN RUSSIA ロシア・天使の詩』(集英社/2006年)


中村 もともとの発端は『月刊プレイボーイ』(集英社インターナショナル)でやっていた「県民ギャル」という企画でした。日本の各地で見つけたかわいい女の子に声をかけてヌードを撮らせてもらう内容で、僕は青森県と秋田県を担当していたんですね。そのとき一緒に現場に行った担当編集の方が、週プレ編集部に異動したとき、「昇さん、今度は海外に行きましょう」と誘ってくれて、ルーマニアとハンガリーに行ったんです。そこで撮った写真を週プレに載せたら、「読者からも好評だから続けてくれ」と、当時の副編集長に言われて。


——なるほど。国内でやっていた企画の拡大版がシリーズ化したんですね。ここに出演されているモデルさんは、みなさん、現地で目をかけた素人さんなんだとか。


中村 そうそう。最初は大変でしたよ。週プレを見せて「この雑誌に載ってもらいたいんだけど」と現地の女の子に声をかけても、「こんないやらしい雑誌はイヤだ!」って、あっさり断られちゃう。当時は、巻末に必ずポルノチックなページがありましたからね(笑)。現地の男性の給料1ヵ月分くらいのギャラで交渉して、ようやく脱いでくれる子がいたって感じでした。


——異国のメディアから「ヌードを撮らせてほしい」なんて言われても、普通は警戒しちゃいますよね。


中村 どうにか撮りためた写真をまとめて最初に刊行したのが『Girls 遠い国の、美女たち』(集英社/2001年)という写真集でした。一冊でもお手本ができるとラクですよ。実際の写真集を見せて「こんな感じで撮りたいんだよね」と言えば、何となく趣旨を理解してもらえたし。


週プレから写真集を出したら、今度は『月刊プレイボーイ』の編集部から「ウチでもやってほしい」と言われて。『月刊プレイボーイ』のほうでは、現地にいるロシア人のコーディネーターがプロダクションに企画を説明してくれたおかげで、いろんなモデルさんから応募がありました。事前にある程度の選考をして、現地で面接をして、撮影させてもらって。


中には、応募してくれた本人の付き添いでいたお姉さんがあまりにも綺麗だったから、その場で直接交渉して、脱いでもらったこともありましたね。その点、『月刊プレイボーイ』はロシアでも売られていた雑誌だったから、日本限定の週プレよりは交渉がしやすかったですね。


——その『月刊プレイボーイ』の編集でまとめられたのが、写真集『Eternity 永遠の美少女たち』(集英社インターナショナル/2003年)ですね。


中村 そうですね。余談ですけど、全3冊の写真集を並べると、背表紙がロシアの国旗の色になるんですよ。


——ほ、本当ですね……! 最近は写真集もデジタルが主流の時代になりましたけど、こういう遊び心はアナログならではですね。


中村 この企画を通して、改めて「ヌードは良いなぁ」と思いましたね。例えば、まだ18歳と若いのに、お腹に盲腸手術の酷い傷跡が残っているロシア人の女の子を撮らせてもらったことがあって。デジタルだと、そういうのはレタッチで綺麗に消しちゃうでしょう? でも、この企画は全てフィルムで撮っていたから、全部そのまま掲載していた。 


僕は、盲腸になって手術をしたこと、傷跡を残すような医者にかかってしまったことも含めて、その傷が、彼女の生き方を物語っていると思うんですよね。肌をツルツルにしちゃうなら、その子である必要がない。彼女自身、ヌードを撮られることに対していろんな気持ちがあっただろうけど、そういう素直な写真が撮れただけでも、この企画をやって良かったと思うし、それが彼女たちの記憶に残るものになっていたら、さらに嬉しいよね。 


中村昇 編・最終話は6/30(金)公開予定! ヌード。グラビア。そして週プレへの思いを語る「週プレ編集部は、グラビア文化そのもの。“売れる・売れない”に関わらず、ずっと残っていてほしいね」


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中村昇プロフィール

なかむら・のぼる ●写真家。1947年生まれ、東京都出身。

趣味=ゴルフ、音楽・映画観賞

1972年、集英社の社員カメラマンに。2008年に定年退職後も、フリーで活動。

主な作品は、松本ちえこ『愛があるから・・・あなたへ』、郷ひろみ『やさしすぎて』、瀬戸朝香『夢駆』、井川遥『PREMIUM』、石田ゆり子・石田ひかり『ゆり子・ひかり きせき 1987‐1996』、相武紗季『10代 ~AIBU LOVE LIVE FILE~』、橋本マナミ『 あいのしずく 』、奥山かずさ『AIKAGI』ほか、東欧美女のヌードを撮り続けた『ロシア・天使の詩』など。

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