『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』栗山秀作編 第二話「思い出を知る」 無知のまま始まった6年間のアシスタント生活。

グラビアの読みかた—WPBカメラマンインタビューズ—

栗山秀作編 第二話「思い出を知る」 無知のまま始まった6年間のアシスタント生活。

 

あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。


第9回目のゲストは、橋本萌花の初グラビア『社長令嬢はウーバーイーツ』ほか、尾碕真花寺本莉緒などのグラビアを多数撮り下ろしてきた栗山秀作氏が登場!関係性から作り上げるグラビア、そして奥深き白ホリの魅力を語る。 

  

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――トラックの運転手、居酒屋の店長を経て、偶然、写真家・丸谷(嘉長)さんのもとへ弟子入りすることとなった栗山さん。当時、写真についてはほとんど何も知らない状態だったと話されていましたが、そもそも、最初に自分のカメラを手にしたのはいつだったんですか? 


栗山 丸谷さんに弟子入りしたときですね。せっかく丸谷さんのもとでお世話になるわけだし、カメラくらい持っておかなきゃと、急いで買いに行きました。「カメラマンになりたい」とか言っておきながら、ダメなヤツですよね(笑)。夢だけ語って、何もしていなかったんだから。


阿佐ヶ谷美術専門学校で写真の授業を受けたときも(一話参照)、高知に住む親父に「ちょっと授業で使うから送ってくれない?」とお願いして、親父のカメラを使っていました。カメラに対する愛着も何もなければ、作品撮りをしたこともない。シャッタースピードや絞りなどの基礎知識も知らない。ただ、写真が好きって気持ちしかなかったんですよね。


――丸谷さんにしてみれば「本当に何も知らない人が来た」って感じだったんですね。


栗山 丸谷さんもそうだし、入りたての僕に引き継ぎとしていろいろ教えてくれたのは、僕と入れ替わりで事務所を辞めてしまうアシスタントさんで。その人はかなり大変だったと思います(笑)。「お前、よくそれで丸谷さんのところに来たなぁ」「あはは、すみませ〜ん」なんて言いながら、1年かけて引き継いでもらったんですよね。


――丸谷さんの事務所に入って、初めてカメラを手にされて。いかがでした?初めて自身で写真を撮られてみたときは。


栗山 いや、最初のうちは写真なんて撮っている暇もなかったですよ。撮影に行って、帰ってきたら暗室に入って、フィルムを現像して、次の日までにベタ焼き(撮ったフィルムを印画紙に焼き付ける作業)をして、それを丸谷さんにお見せして、また次の撮影に行って……の繰り返し。何なら、寝られる時間はフィルムを乾燥させている間だけ。


現場に行けば、丸谷さんのアシストで手一杯。「自分も写真を撮りたい」なんて発想すらなかったです。だから、結果的に丸谷さんの事務所には6年半ほどいたんですけど、自分で写真を撮るようになったのは、アシスタントを辞めた後でしたね。


――そ、そうだったんですね。では、先にアシスタント時代のお話をお聞きしたいのですが、6年半のアシスタント生活とはやや長めですよね。


栗山 そうですね。最初の3年間は、しょっちゅう丸谷さんに怒られていましたよ(笑)。「お前、アシスタントだろ?おれをアシストしてくれないと困るよ。頼むから、足を引っ張らないでくれ」って。3年経って、ようやくアシスタントと呼べるくらいになれたんじゃないかなぁ。


ひとつ覚えているのは、とある女優さんをスタジオで撮影したときのこと。丸谷さんから「明日、この女優さんをこういうイメージで撮るから、早めにスタジオ入りしてライティングを組んでおけ」と言われて。「丸谷さんだったら、こう組むかなぁ?」と自分なりに考えて組んだライティングに対して、丸谷さんが「うん、いいんじゃない」と言ってくれたんですよ。それまでは「うーん、ダメ。全部やり直し」だったのに(笑)。


――それはうれしいですね!まさに認められた瞬間じゃないですか。


栗山 まぁ、そうなるまでが長すぎって話なんですけど(笑)。それからしばらくして、「お前、もう来年卒業な」と丸谷さんに言われて、独立したって感じでしたね。


――おぉ、急ですね。言われたとき、ドキッとしませんでした?


栗山 しましたね。ただ、「卒業」と言われたとはいえ、僕が上のアシスタントさんにしてもらったように、今度は僕が下の子に引き継ぎをしなきゃいけなくて。にもかかわらず、下の子が入っては辞めてが続いて、ひと通り教え切るうちに入れ替わっていたので、気付いたときには「卒業」と言われて2年が経っていました。独立する頃には、27歳になっていましたよ。


――独立後は、撮りためた写真を見せに出版社へ営業に行くのが、カメラマンとしての仕事を得るための主な流れ。しかし栗山さんは、独立されてから本格的に写真を撮り始めたって話でしたよね。


栗山 はい。丸谷さんがお世話になっていた各社に「独立しました」とご挨拶へ行こうにも、お見せできる作品がなくて。とりあえず、紹介されたかわいい女の子を付け焼き刃で撮りはしたものの、そんなんじゃ編集さんには響かないですよね。


――でも、営業はしないと仕事に繋がらない。難しいところですね。


栗山 焦って撮っても仕方がないと、アルバイトをしつつ、ここで初めて、自分なりに撮りたい写真を考えるようになりました。不思議なことに、アシスタント時代は丸谷さんのもとでゼロから写真を学んだというのに、いざ撮っていくと、自分が撮りたい写真は、丸谷さんが撮っていたそれとは別のところにあったというか。自分が好む感覚や求める世界観は、ただ写真に憧れていただけの専門学生の頃から何ら変わっていなかったんですよ。よく「師匠の写真のイメージに引っ張られてなかなか抜け出せない」なんて話も聞きますけど、僕はそういうのが一切なかったんです。


最近、丸谷さんに「お前、おれのところにいて何でこういう写真になるかね?おれはこんな“M字ポーズのパンチラ”なんて撮ったことねぇよ」と冗談半分で言われましたよ。もちろん、丸谷さんに師事しての今の僕なのですがね(笑)。


――あはは。まぁ、ガッツリ写真を学んだとはいえ、性格も違えば、受けてきた影響も違いますからね。


栗山 そうそう。アシスタント時代も、僕が絶対に選ばれると思った写真と、実際に丸谷さんが選ぶ写真が違うということは、結構ありました。やっぱり、写真に対する良し悪しは人それぞれなんですよね。意識的に自分の感性を大事にしていたわけじゃないけど、6年間アシスタントを務めていても、そこがブレることはなかったです。


――では改めて、栗山さんが丸谷さんのもとで学んだこととは、何なんでしょう?


栗山 被写体となるタレントさんや現場を支えるスタッフさんとの接し方、ですかね。こうしたら人は動いてくれるんだ、心を開いてくれるんだっていうのは、丸谷さんの背中を見て学ばせてもらった気がします。って、なかなか真似はできないですけど(笑)。丸谷さんは、「いつも通りの表情はいいから」と、わりと相手を追い込むタイプの人。普段のその子とは違う引き出しを開けるために、あえて突き放すことも厭わないんです。対する僕は、いかに“かわいいポイントを探るか”で撮っています。そりゃあ、あがってくる写真も違いますよね(笑)。


栗山秀作編・第三話は5/20(金)公開予定! グラビアにおける関係性の重要性を語る。「今の僕があるのは、岩佐真悠子ちゃんのおかげです」


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栗山秀作プロフィール 

くりやま・しゅうさく ●カメラマン。1972年生まれ、高知県出身。 

趣味=映画鑑賞 

写真家・丸谷嘉長氏に師事し、2000年に独立。 

主な作品は、小松彩夏『アヤカのナツ』、『アヤカのゼンブ』2004、堀北真希『Castella~カステラ』2006、岩佐真悠子『IWASA MAYUKO』2007、真野恵里菜『MANO DAYS ~二十歳の初恋~』、『Escalation』、『ERINA』、火将ロシエル『ignis』など。スタジオでの撮影も得意としており、ファッションブランド・KIKS TYO×週プレコラボTシャツの撮影も手掛けている。 

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