2022年6月10日 取材・文/とり
あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。
第10回目のゲストは、『週刊ヤングジャンプ』にて雪平莉左の初グラビアを撮り下ろし、今年4月に発売されたファースト写真集『とろける』までを手掛けた佐藤佑一氏が登場!グラビアを撮る際のコミュニケーションや、カメラを持ち始めた頃から撮り続けている母の写真について語る。
――大学時代に通い始めた写真教室(写真表現中村教室)には、いつ頃まで通っていたんですか?
佐藤 大学を卒業したあともしばらく通っていましたよ。卒業の概念がなかったので、いようと思えばいつまでもいられる感じだったんです。大学卒業後は、その写真教室に通いつつ、アルバイトをする生活。たまに、プロのカメラマンさんの現場にもアシスタントとして行くようになっていましたね。
――プロの現場というと?
佐藤 大学4年生の頃に話が戻ってしまうんですけど、写真教室に、プロのカメラマンについて実際の撮影現場でアシスタントをやっている人がいたんですよ。「今度、私が行けないとき、代わりに現場に行ってみる?」と誘われて。早いうちから、いくつか現場に行かせてもらっていたんです。
――写真を初めて間もない時期に、もう現場に行っていたとは!それって、何の現場だったんです?
佐藤 初めてのアシスタントをさせてもらったのは、アダルトビデオのパッケージ撮影でした。スゴかったですよ。実際に、目の前でセックスをしている男女がいて、終わったら「お疲れさまでしたー」と、ササっと解散するんですから。特別な気持ちが入っていないだけで、こうも行為が仕事になるんだと。若くして、ある種、悟りを開いた感覚でしたね(笑)。写真を始めたばかりの大学生が行くには、あまりにディープな現場でした。
――そ、それは強烈な初現場でしたね(笑)。
佐藤 本当に(笑)。まぁ、他にもいろんな現場の手伝いに行かせてもらいましたけどね。その後、大学を卒業して少し経った頃くらいに、母と彼女を撮った写真でNikon juna21を受賞し(一話参照)、カメラマンになりたい気持ちも自然と高まってきて。写真教室を辞めてから、今度は、渋谷にある松濤スタジオのスタジオマンになりました。毎日違うジャンルのカメラマンさんが来るスタジオで、あるとき、後に僕の師匠となる渡辺達生さんが偶然いらして。
――おぉ!それが渡辺さんとの初めての出会いですか?
佐藤 そうです。荒木さんに影響を受け、彼女の写真を撮ることに憧れた僕としては、カメラマンになるなら断然グラビアがやりたかったですし、渡辺さんが撮影されたグラビアも、スクラップ にしてよくまとめていました。ここでタイミング良くお会いすることができたとき、絶対に渡辺さんのアシスタントになりたいと思いましたよ。しかも、とある女優さんを何媒体ものメディアが順番に取り下ろす忙しない現場で。事務所からの指示もあってなのか、その女優さんは、どの媒体の撮影でも全く笑顔を見せない。にもかかわらず、渡辺さんが元気良く現場入りされた途端、その女優さんが笑顔を見せていたんです。率直に「うわっ、すげぇ」と思いましたよね。
――被写体との接し方というか。それもまた、カメラマンの力ですよね。
佐藤 そうそう。それで、当時アシスタントをしていた藤本さん(カメラマンの藤本和典氏。佐藤氏の兄弟子にあたる)に声をかけてみたんです。そしたら「今ちょうど募集しているから、すぐ来なよ」って、その場で受け入れてくれて。1年半ほどの勤務で松濤スタジオを辞めて、早速、渡辺さんのもとに弟子入りをしたんですよね。
――急な展開ですねぇ。では、佐藤さんがアシスタントについたときには、藤本さんもいらっしゃったんですか?
佐藤 いましたよ。代的にはふたつ上なんですけど、ひとつ上にいた方が僕と入れ替わりで辞められたので、何ならアシスタント時代は、僕と藤本さんって感じで。国内ロケのときは、常にふたりで渡辺さんのお手伝いをしていたほどです。初めて泊まりロケで一緒になったとき、緊張している僕に「外行ってナンパしようぜ!」と誘ってきたのはビックリしましたけど(笑)。
――えっ、ナンパ!?
佐藤 陽気な藤本さんらしいっちゃらしいのですが、さすがに驚きますよね(笑)。とはいえ、フィルムチェンジや車の運転など、アシスタント業務の基本を教えてくださったのも藤本さんでした。おふざけキャラではあるものの、現場では何でもできる頼れる先輩。今も変わらず、とても尊敬しています。
――今も同じグラビア界でご活躍されている藤本さんとのアシスタント生活。聞くだけで濃厚な時間だったことがうかがえます。
佐藤 うん。今思い返しても、楽しかった記憶ばかりです。それに、僕が入ったときは、ちょうど渡辺さんがフィルムからデジタルに切り替えようとしている時期だったんですよ。だから僕は、フィルム時代の渡辺さんの現場を経験した最後のアシスタントなんです。それもまた、良いタイミングだったなぁと思っています。だって、デジタルカメラが主流の今に比べて、フィルムの時代はアシスタントの仕事もかなり多かったですから。グアムやハワイに行っても、海を見た記憶がない。フィルムにレフ板に、三脚、ポラロイド(ポラ)……と荷物も多いですし、雲の動きを見つつ、すぐフィルムチェンジができるよう、渡辺さんが何回シャッターを切ったかも数えないといけない。しかも渡辺さんって、ポラを撮ってからフィルムにいくのが早いんですよ。ポラで露出の調整を確認して、よし撮影!となるところ、ガンガン撮り始めちゃうので、2本撮り終わってから「ヤバい!露出、間違っていた」みたいなことも多々ありました。常にテンパっていましたね。海外ロケも多かったですし、毎日が刺激的でした。
――お話を聞いているだけでテンパってきましたよ(笑)。
佐藤 あはは。さらにいうと、撮影が終わったあとはご飯も食べなきゃいけないんですよ。
――食べなきゃいけない……(笑)?
佐藤 撮影後の食事で余ったご飯を食べるのもアシスタントの仕事というか(笑)。渡辺さんに「食え」と言われるんじゃなく、周りのスタッフの方々が「お前は達生さんのアシスタントだから、な!」って、圧をかけてくるんです。しがないアシスタントである僕へのキャラ付けとして、みなさんが愛を持って接してくださっている証なんですけど、当時は吐くまで食べていましたし、2泊3日の泊まりロケで4kg太って帰ったこともありましたね(笑)。
――それだけ現場のスタッフさんにも愛されていたってことですね(笑)。アシスタント時代の失敗エピソードなんかはありますか?
佐藤 もちろんありますよ。いちばんの大失敗は、茨城のゴルフ場で、とあるプロゴルファーの方を撮影したとき。新人のアシスタントが入ったばかりの頃だったので、僕はチーフアシスタントとして、その新人さんに業務を引き継ぎつつ、現場をサポートしていたんですね。そしたら、その新人さんが青ざめた顔で、僕に「佐藤さん、すみません。前にいたスタジオに大事なものを忘れてしまいました」って言うんですよ。何だと思います?カメラですよ(笑)。
――えーっ!
佐藤 新人の子に任せてしまった僕の責任です。僕らのミスで撮影を中止するわけにはいかない。最悪、借金してでもカメラを買おうとロケバスさんに聞いてみるも、カメラを買えるお店なんて茨城の郊外にあるわけもなく……。
――ヤバい状況ですね。どうされたんです?
佐藤 それが当時、カメラマンの橋本雅司さんと一緒に事務所を借りていて、たまたま橋本さんのアシスタントさんが事務所にいたんですね。「申し訳ないけど、茨城までカメラを持ってきてくれない?」とダメもとで連絡したら、事務所に停めてあった渡辺さんのジャガーで高速を飛ばして、そのアシスタントさんがカメラを届けてくれたんです。どうにかギリギリ、撮影にも間に合いました。あのときは本当に焦ったなぁ。
――現場に支障が出なくて良かった、でいいんでしょうか?
佐藤 まぁ、絶対にあってはならない失敗ですよね。現場は何とかなったものの、これはもう言い逃れできないぞ、と。帰り道にドン・キホーテに寄って、アシスタントの子とふたりでバリカンを買いました。
――そ、それはもしや!?
佐藤 はい。これしか謝罪する術がないと思って、今くらいの長さの髪を丸めました。当時付き合っていた彼女には、あまりの変貌ぶりに「私が付き合っている人じゃない!」と言われてしまいましたよ(笑)。そんな感じで、3年間のアシスタント生活を駆け抜けました。大変さを上回るくらい、楽しい思い出ばかりです。
佐藤佑一編・第三話は6/17(金)公開予定! 独立早々、ヌードグラビアや巻頭グラビアを担当! 「現場でのコミュニケーションが自分の幅を広げていくんです」
佐藤佑一プロフィール
さとう・ゆういち ●カメラマン。1981年生まれ、東京都出身。
趣味=サウナ、サーフィン
カメラマン・渡辺達生氏に師事し、2010年に独立。
主な作品は、芹那『しるし』、桜庭ななみ『Birth』、都丸紗也華『とまるまる』、大友花恋『Karen』『Karen2』『Karen3』、戸田れい『TRENTE』、伊東紗冶子『SAYAKO』、新内眞衣『どこにいるの?』、鹿目凛『ぺろりん』、福原遥『はるかいろ』、伊原六花『rikka』『sáu hoa』、平祐奈『Comme le Soleil』、上西怜『水の温度』、薮下楓『さよならの余韻』、早川渚紗『なぎちぃ』、雪平莉左『とろける。』など。2005年に実母のヌードを撮影した作品『感情日記』でNikon juna21を受賞。