2022年7月15日 取材・文/とり
あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。
第11回目のゲストは、8月2日に発売予定の劇団4ドル50セント・安倍乙の『吐息の温度』を担当している前康輔氏。乃木坂46の写真集をはじめ、ここ数年でグラビアのオファーが急増中。“グラビア初心者カメラマン”の彼が語る、グラビアの魅力とは。
――専門学生の頃から“数”を撮ることにこだわり続け、スタジオマン時代にはキヤノンの写真新世紀で賞を獲得。その後は、どのようにして活動を広げていかれたんでしょうか。
前 前話でお話しした通り、“数”を撮り続けた分、自分の写真に自信はありました。ただ次第に、作品ばかりを撮り続けていても先が見えないってことに気づくんです。というのも、2年務めたスタジオを辞めたあとは、撮った写真で個展を開くなど写真家らしい活動をしてはいたものの、現実はアルバイトで何とか生活費を稼ぐ日々。「写真で食べている」とは言えない状況だったんです。
――なかなか作品だけで生計を立てるのは難しいですよね。
前 僕の親父もまた、いろんな職を転々としている人で。お互いに無職の時期が重なったときは、どっちが先に仕事が決まるか競いあったこともありました(笑)。そんな親父が「新しい仕事が決まった」と言うので、興味本位で仕事の様子を見に行ってみたんです。炎天下の山の中、無心でゴミを仕分ける超過酷な現場でした。それを見たとき、率直に「せっかく専門学校まで行かせてもらったのに、写真を仕事にしないのはダメだな」って思ったんです。失礼ながら、スタジオマン時代に見ていた商業カメラマンになるイメージは湧かなかったし、誰かのアシスタントにつくのにも惹かれなかったんですけど、どれだけ良い作品を撮り続けていても、主な収入源はアルバイト。商業カメラマンとして生計を立てている人たちの方が十分、立派に見えてしまいますよね。
――では、そこから営業を始めて?
前 一応、スタジオマン時代から少しずつ出版社への営業はやっていたんですよ。主に、カルチャー誌を中心に。ただ、賞をもらった作品を持って行っても、全く仕事には繋がらない。作品としては良いはずなのに、「仕事はお願いできない」と言われてしまうわけです。それもそのはず。当時の僕は、とにかく“数”を撮ることにこだわっていたから、モノクロでしか写真を撮っていなかったんですね。自宅に買った引き伸ばし機がモノクロ用だったので、カラーを現像するとなると、お店にお願いしないといけなかった。お金がかかる分、“数”の撮れないカラーには触れてこなかったんです。でも、仕事をするなら当然カラーも撮れないとダメじゃないですか。そう思うようになり、20歳を過ぎてから、初めてカラーを撮るようになったんですよね。
――そうだったんですね。結果、お仕事は決まったんでしょうか?
前 カラーを撮り始めたからといって、すぐに仕事は決まりません。相変わらずのアルバイト生活を続けるなか、転機となったのは、僕がとある個展を開いたときでした。僕が展示をしていた会場の向かいに、写真家・小林紀晴さんのギャラリーがあって、作家兼写真家の椎名誠さんの展示が開かれていたんです。どちらも超がつく有名人。遠目からギャラリーを見ていると、スーツを着た編集者らしき人たちがたくさん集まっていました。そんなに大勢いるなら、ひとりくらい僕の展示に興味を示してくれる人もいるんじゃないかと。たまたま『泣いてばかりいた』(キヤノンの写真新世紀で賞をもらった前氏の作品。詳しくは一話を参照。)で撮っていた“ヌード写真”の巨大なプリントがあったので、そのギャラリーに向けて、窓から垂らしてみたんです。そしたら、向かいにいた編集者のうちのひとりが僕の会場に来てくれて。
――す、スゴい行動力!
前 われながら、大胆だったと思います(笑)。でも、必死だったんですよね。世間知らずで生意気だったとはいえ、良い写真を撮っている自信はあるのに、それを認めてもらえない現実はとても苦しかった。とにかく誰かに僕の写真を見てもらいたい。その一心でしたね。
――きっと会場に来てくれた編集の方には、前さんの声にならない叫びが届いたんでしょうね。
前 そのとき僕の写真を見にきてくれたのは、文藝春秋の編集者の方でした。お話させていただくと、写真が大好きな方で、家もご近所で。業界人の集まりに誘ってくださったり、ほかの編集さんに僕を繋げてくれたり、いろいろと面倒を見てくださるようになったんです。初めてカメラマンとしてのお仕事をいただけたのは、その方の紹介で営業に行かせていただいた『GQ JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)でした。レストラン取材の連載企画。お店の外観と内観、そして料理と。白黒2色ページに掲載される小さな切り抜き写真を任せていただいたんですよね。
――いきなり連載ですか。前さんとしても、そこでやっと自分の写真が認められたという感じだったんでしょうか。
前 いや、連載と言っても僕はただ写真を撮るだけですし、それ以外にもいくつかお仕事はいただきましたけど、みなさん、“写真が良いから”僕にお願いしてくださっていたわけではなかったはずです。実際、仕事になると途端に良い写真が撮れなくなっていましたしね。仕事として求められるクオリティを何とかクリアしているだけの、つまらない写真だったと思います。
――ではどうして、みなさん駆け出しの前さんにお仕事をお願いされていたんでしょうか。と、ご本人に聞くのもおかしな話ですが。今振り返ってみて、いかがです?
前 ……とにかく必死に食らいついていたから、じゃないですかね。うん。やっぱり、認めてもらいたくて、何に対しても一生懸命になっていたと思います。文春の編集さんから紹介していただいたとあるライターさんに写真をお見せしたとき「あんた、半径500メートルの世界しか撮っていないね」って言われたんですよ。僕としては、僕が見ている世界を切り取るのが僕の写真だし、僕が撮るべき大事なものは半径500メートルの範囲にあると思って撮り続けていたから、そこを否定されたのがスゴく悔しくて。だったら半径500メートルの外に行ってやろうと、半ば勢いで、写真を撮るためだけにニューヨークへ行って、1ヶ月間滞在しました。それまで海外なんて、一度も行ったことがなかったのに。
――おぉ、これまた大胆な行動ですね!
前 帰国したあと、すぐにニューヨークで撮った写真をプリントして、そのライターさんにお見せました。「どうですか?半径500メートルじゃないでしょ?」って。
――あはは。いいですね。そのライターさんの立場になって考えてみると、言われたことに対して必死で応えようとする前さんの行動がかわいく映りましたよ。
前 はい。まさに最近、そのライターさんに言われましたよ。「ちょっと突(つつ)いただけなのに、本気になって返してくれたのが良かったんだよね」って。写真が良いかどうかはもちろん大切だけど、それ以上に、必死になって食らいつこうとしているこの若者を何とかしてやろう、と。当時の僕に仕事を振ってくださっていた方たちは、みなさんそういう気持ちだったんじゃないかなぁ。
――文春の編集さんはじめ、周囲の先輩方から愛されていたんですね。お話を聞いていると、特別なお師匠さんがいない前さんにとって、仕事で関わる人たちみんながお師匠さんのような存在だったように感じます。
前 あぁ、僕もそう思いますね。カメラマンとして仕事をいただくようになって間もない頃、そのライターさんに誘われて、新聞の一面で月一連載をやることになったんですよ。僕が写真を撮って、そのライターさんがテキストを書いて。毎回、何かしらのプロダクトを紹介していくんです。初回のプロダクトは、バウハウスの積み木。「良い感じに撮ってきて」とモノだけ渡されたので、普通にブツ撮りするだけじゃつまらないかなと。その積み木を持って、車で浜松の砂丘まで行ってきました。壮大な砂場で積み木遊びをする絵が撮りたくて。
当時、前氏が撮った写真。
――へぇ、面白い発想ですね!
前 冷静に考えるとダメなんですけどね。お借りした商品を直接砂の上に置いちゃっているから(笑)。ただ、これまで仕事で撮らせてもらった写真のなかでは、ダントツに手応えがあったんです。自分のなかでのベストな一枚と、予備に別のカットを一枚プリントして、自信を持ってライターさんにお見せしに行きました。そしたら「どうして2枚持ってきたの?あんたに撮影をお任せしたんだから、あんたがいちばん良いと思う一枚を持ってきなさいよ」と言われてしまったんです。戸惑いましたよね。仕事だから、念のため予備の一枚を持っていくのは当然。むしろ、2枚に絞っただけでもかなり攻めたつもりだったので。
――何なら、使いやすいよう、あらゆる角度の写真をお見せしそうなものです。
前 僕もそう思っていました。でも、そのライターさんとのお仕事を繰り返すうちに「自分が良いと思う写真を先方に渡すのがカメラマンの仕事なんだ」と、だんだん分かってきたんですよ。仕事で良い写真が撮れなかったのは、求められる写真を撮ろうとしすぎていたから。それに気付いて以降は、仕事で撮る写真も格段に良くなりましたね。
――自身で良いと思える写真を撮り続けていた前さんにしてみれば、むしろ好都合じゃないですか。
前 そうそう。もちろん、「こう撮ってください」と細かく指定される現場もあります。それでも、限られた範囲内で良い写真を撮ることに変わりはない。商業にしろ、作品にしろ、自分が良いと思えない写真が読者に響くわけがないですからね。
前康輔 編・第三話は7/22(金)公開予定! 「僕の写真を見て希望を感じてほしい」。キャリア十数年にしてグラビアに挑戦した前氏が写真に込めるこだわりとは。
前康輔プロフィール
まえ・こうすけ ●写真家。1979年生まれ、広島県出身。
趣味=写真、パチンコ
2002年ごろより、カルチャー誌やファッション誌、広告などを中心に活動。
主な作品は、田中圭『R』、与田祐希『日向の温度』、樋口日奈『恋人のように』、井上小百合『存在』、弘中綾香『ひろなかのなか』など。三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』、村上龍『空港にて』、吉田修一『春、バーニーズで』(挿絵写真)など、書籍のカバーも担当するほか、自身の写真集『倶会一処(くえいっしょ)』、『New過去』も。
8月2日には劇団4ドル50セント・安倍乙『ファースト写真集(仮)』が発売!