『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』中山雅文 編 第一話「ルーツを知る」 アウトローな過激系雑誌の編集部員から、グラビアカメラマンへ。

あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。


第12回目のゲストは、前田敦子の写真集『ATSUKO』(前代未聞!3冊連続リリース作の完結編)や新人時代の馬場ふみか(デジタル写真集『1stグラビアセンセーション!』など)を撮影した中山雅文氏が登場。幅広い人脈を持つ生き方や、多くの編集者から愛され続ける理由を探る。


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――まずは、カメラマンになるまでのルーツを聞かせてください!


中山 いちばん大きな経験は、高校卒業後、大学へ進学せずに、ひとり海外を転々としたことですかね。18歳から20歳の間は、アルバイトでお金を貯めつつ、海外旅行を楽しんで。その後3年間は、本格的に海外で生活をし始めました。最初は、アメリカ・カリフォルニア州にあるサンタバーバラという街へ。そのあとは、主にアメリカ本土を周りつつ、ニュージーランドやオーストラリアなどの英語圏にも拠点を置いた時期がありましたね。


――おぉ〜、なかなかの経験ですね。


中山 外資系の会社で働く父親に連れられて、子どもの頃から、よく海外には行っていたんですよ。社交的な場は大好きだったし、ひとりで海外暮らしをしているときも、あらゆる国の人たちとシェアハウスをしていました。僕が住んでいた家はブラジル人が多かったのかな。みんな、ラテン系の明るいノリで接してくれるので、スゴく楽しかったです。


――そこに馴染めるのがスゴいです(笑)。日本に完全帰国されたのは23歳くらいでしょうか。大学に進学した同級生たちは就職しはじめている頃ですが、中山さんは? 


中山 何か目的を持って海外へ行っていたわけではなかったので、普通に仕事を探しましたよ。興味があったのはエンタメ業界。たまたま読んでいた『週刊ビーイング』(リクルート刊の求人誌。現在は休刊)にエンタメ誌を刊行している出版社・白夜書房の募集が載っていたので、試しに受けてみようかなと。結果は合格。……でしたが、面接官をしてくださったのが『BURST』(白夜書房の系列出版社のコアマガジン刊/刺青やドラッグ、ハードコアバンドなどアウトローな特集がメインの雑誌。現在は休刊中)の編集長で。「編集業務自体はどの雑誌もそんなに変わらないから、まずはここで勉強すればいいじゃん」と言われるがまま、そこで編集部員をすることになったんですよね。


――そ、そんなディープな雑誌を!?エンタメ誌の世界とは全然違いますよね。


中山 どちらかというと、アンダーグラウンドな世界ですからね(笑)。それはそれで面白かったですよ。彫り師さんとか、普通に生活していたら出会えなかったであろう方たちとたくさん交流できましたし。良い経験になりました。


――最初のキャリアが雑誌の編集者だったことも驚きですよ。


中山 今とは立場が逆で、当時は、僕がカメラマンさんにオファーを出して取材に行っていたんですよ。たまに「お前が撮ってこい」と編集長に言われては、編集部員である僕が会社のカメラを持って、撮影に行っていましたけど。カメラに興味もなければ、編集部に入って初めて触ったくらいのど素人だったので、全設定をオートにして、何とか撮っていた感じでしたね。


――それが中山さんとカメラの出会いだったんですか?


中山 はい。とはいえ、まさか自分がカメラマンになるとは想像もしていませんでしたよ。転機となったのは、編集部で働き始めて2年ほど経った頃。いきなり編集長に、「お前、編集の才能ないから別の仕事を考えた方がいいよ」と言われてしまったんですね。そうは言っても、大学も出てないし、何ができるだろうって話だったんですが、同時に「こっち(写真)の方が向いているんじゃない?」とも言ってくださって。実際に、僕が撮った写真を誌面に載せてくださった編集長の意見だったので、トライしてみるのもアリかもしれないなと。気持ちを切り替えるのに、そう時間はかかりませんでした。


――確かに、説得力がありますね。


中山 本格的に写真の技術を学ぶべく、写真学校に通う選択肢もあったのですが、知り合いのスタイリストさんに相談したら、「現場を見た方が早いから、とりあえずスタジオマンになれ」と、3つほど都内のスタジオを教えてくれて。早速、紹介された六本木スタジオ(通称、六スタ)の試験を受けた結果、働かせてもらえることになったんですよね。業務がキツく辞めてしまう若いスタジオマンが多いなか、僕はもう25歳になっていたし、そう簡単には折れないだろうと思われたんじゃないかな。カメラの扱い方からライティングまで。スタジオマン時代は、とにかく日々勉強でした。しかも、当時の六スタは24時間営業。スタジオの上にある広い部屋をパーテーションで簡易的に区切って、ほかのスタジオマンたちと一緒に暮らしたのも、今となっては思い出です(笑)。


――ガラリと環境が変わりましたね。ちなみに、グラビアへの意識はいつ頃から芽生えてきたんでしょう?突然のカメラマンへの転向も、見方によっては、当初興味があったエンタメの世界にグッと近づいたとも言えそうですよね。


中山 カメラマンを目指した瞬間から、撮るなら女の子のグラビアがいいなと思っていましたよ。僕、シンプルに女の子が好きなので(笑)。それこそ『BURST』の編集部にいたとき、夏の江ノ島で水着スナップを撮る仕事があったんですね。ビーチにいる素人の女の子に声をかけて、水着を撮らせてもらって。週プレ夏の恒例企画「水着美女キャッチ」みたいな感じですね。撮ってきた写真を編集長に見せると、写真に気持ちが表れていたのか、「お前、やっぱり女好きなんだな〜」と謎の感心をされましたよ(笑)。趣味のサーフィンも、女の子にモテたくて始めましたし……。うん。僕、女の子が大好きなんですよ。もちろん、グラビアを見るのも大好きでしたしね。って、チャラい発言をしてしまってすみません(笑)。


――いやいや。「女の子が大好き」とハッキリ言い切られるの、清々しくてカッコいいですよ(笑)。どんなグラビアがお好きだったんですか?例えば、憧れのカメラマンさんとか。


中山 好きなカメラマンは藤代冥砂さんですかね。『月刊』シリーズ(新潮社/主に2000年代、コンビニなどで売られていたグラビア写真集。毎号、『月刊〇〇』とタイトルに女性タレントの名前が入れられていた)もよく読んでいたし。生っぽいテイストの写真が好きでした。あと、後に僕の師匠となる久保田昭人さんの写真も好きでしたね。ファッション・広告出身のカメラマンさんではあるのですが、アイドル写真集も多く手がけている方で。グラビアは、やはり生っぽく臨場感があるんです。


――“生っぽい写真”がお好きなんですね。久保田さんに師事されたのも、それが理由で?


中山 そうです。写真だけを見て、アシスタントにつくなら久保田さんがいいなと。その話を知り合いのロケバスさんにしたら、ありがたいことに繋げてくださったんですよ。初めてお会いしたのは、歌舞伎町の喫茶店。上下白のスーツで来られて、そのままお酒を飲まされたのはビックリしましたけど(笑)。そうして1年半のスタジオマン生活を経て、憧れの久保田さんに弟子入りすることになったんですよね。



中山雅文 編・第二話は8/12(金)公開予定! 「絶対に週プレでグラビアを……」。営業を続け、勝ち取った相澤仁美のグラビアが編集部内で話題に!


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中山雅文プロフィール

なかやま・まさふみ ●カメラマン。1975年生まれ、東京都出身。

趣味=サーフィン

カメラマン・久保田昭人氏に師事し、2003年に独立。

主な作品は、本仮屋ユイカ『私。』、小芝風花『F』、伊原六花『R22』、森日菜美『もりだくさん』、ぱんちゃん璃奈『虹色ぱんちゃん』、上西恵『そのまんま。』、HARUKA『はるか』、大島優子『優子のありえない日常』、前田敦子『ATSUKO』、島崎遥香『ぱるる、困る』、杉本有美『うち』、吉木りさ『Heaven』『RISA~Te amo~』『OKOLE』、脊山麻理子『SEYAMA』、他多数。

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