2022年9月2日 取材・文/とり
あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。
第13回目のゲストは、週プレで、初水着グラビアから井桁弘恵を撮り下ろし(デジタル写真集『いげちゃん』など)、CYBERJAPAN DANCERS写真集『BONJOUR!!』などを手掛けた笠井爾示氏が登場。『月刊シリーズ』の思い出のほか、自身の作品集やグラビアに対する素直な気持ちを語ってもらった。
――舞踏家・笠井叡氏を父に持ち、現在、二人の弟さんたちもダンサーとして活動中。そのなかで唯一、笠井さんだけが写真の道に行かれています。特殊な“芸術一家”という印象ですが、幼少期はどのように過ごされていたんですか?
笠井 学校終わりに野球をしたり、漫画雑誌『コロコロコミック』を夢中で読んだり。周りにいる同級生たちと何ら変わらない遊びをして過ごしていましたよ。「踊りを生業としているうちの父は、サラリーマンをやっている友達のお父さんたちと違うんだ」という認識は、物心ついた頃からどこかにあったものの、だからどうってわけでもなかったです。家の中では、父のお弟子さんである20代前後の若いダンサーさんたちが常にウロウロしていた記憶があります。隣接している稽古場に更衣室がなかったので、着替えにきた半裸状態の若者が普通に部屋の中にいて。そこでご飯を食べていた光景は、今考えると異様な気もしますね(笑)。
――それは不思議な空間ですね(笑)。
笠井 そんな家庭でしたし、家族みんなでお出かけした記憶はほとんどありません。ずっと行ってみたかった野球観戦に初めて連れて行ってくれたのも、お弟子さんたちでしたから。実家が東京・国分寺なので、西武球場が近いんですよ。道中で、人生初の喫茶店にも立ち寄って。まだインベーダーゲーム機が置いてあった時代です。あるのは知っていたものの、実際にプレイするのは初めてだったので、スゴく楽しんでいた思い出がありますね。
――野球に、漫画に、インベーダーゲーム……。確かに、ごく普通の少年って感じがします。
笠井 強いて言えば、絵を描くのは得意な方でした。小学校で学級新聞を作るときに「絵が上手いから漫画担当ね」と任されたり、漫画家志望の従兄弟と二人で「藤子不二雄みたいにコンビで漫画を描こうぜ」と遊び半分に話したり。10歳の頃、父親に連れられて家族みんなでドイツのシュトゥットガルトに移住するんですけど、ドイツ行きが決まっていちばん辛かったのは、大好きな『コロコロコミック』が読めなくなることでしたしね。
――10歳でドイツですか。笠井さんのルーツの中でも飛び抜けて大きな出来事ですよね。なぜ移住することに?
笠井 もとは、家族で移住する1年前に「シュタイナー教育を学びたい」と、父ひとりで行っていたんですよね。ドイツに限らず、日本でもシュタイナー教育を取り入れている学校はたくさんあるんですが、ドイツは、世界で最初にシュタイナー学校が創立された国なので。
――シュタイナー教育、というと?
笠井 簡単に説明すると、個性の尊重や自立の促進を重視した教育法ですね。その中に「オイリュトミー」と呼ばれる運動芸術の科目があって、父はそれを学びに行ったんです。ある程度学び終えたら、また日本に帰ってくるだろうと。そう思っていた矢先に、「みんなで住める環境が整ったからドイツに来い」と言われたんです。僕は全く乗り気じゃなかったですよ。移住したばかりの頃は、早く帰りたくて仕方がなかったですね。
――『コロコロコミック』が読めないどころか、生活習慣や文化がまるで違いますもんね。
笠井 何なら、僕がドイツで通っていたのがシュタイナー学校だったんですよ。もう30年以上前の話になるので、今のシュタイナー学校とは少し違うかもしれませんが、当時は教科書がなくて。授業中、先生が黒板に書くことや口頭で教えてくれたことを自分なりにメモし、宿題として、各々で教科書を作っていくスタイルだったんです。最終的に、その教科書を基準に「こいつはこうだ」と評価されるという感じですね。
――移住したての頃は言語も分からなかったでしょうし、大変だったんじゃないですか?
笠井 シュタイナー教育は芸術を大事にしている教育法でもあるので、教科書を作るといっても、必ずしも論理的に構成する必要はないんですよ。自分が理解できるのなら絵で表現しても良い。それに、授業内容自体は日本の方が進んでいて。日本では小学3年生で学ぶレベルのことを、ドイツの学校では小学5年生になって初めて教わっていたんです。家に帰れば弟たちがいたし、完全に生活の中から日本語が消えたわけではなかったので、意外と大変でもなかったですよ。
――では、思いのほか充実した生活を?
笠井 そうですね。何だかんだで友達もできたし、夏休みに友達の家族に連れられて遊びに出かけたこともあったので、それなりに楽しく生活していたと思います。ただ、移住から3年経った頃に、父が突然「帰国するぞ」と言い出して。僕自身、子どもなりに「3年我慢すれば日本に帰れるはずだ」と思ってドイツ生活を受け入れたところはあったし、ずっと帰国を待ち望んでいたはずなのに、そう言われると微妙に帰りたくない気持ちが芽生えてきたというか。「もう少し残ろうかな」と何気なしに言ってみたら、一切反対されることなく「良いんじゃない」と言われて。家族みんなが帰った後も、しばらく僕だけドイツにいたんですよね。
――えぇー!?ど、どうしてですか?
笠井 自分でもビックリでしたよ(笑)。まぁ、言ったところで親は許さないだろうとも思っていたし、だんだんドイツ語が分かるようになってきたところで、せっかくできた友達と断絶される寂しさもあったんじゃないかな。意を決して「ドイツに残る」と言ったわけではなかったけど、「良いんじゃない」と言われてしまった手前、僕も引き返せなくなっちゃったんですよね。
――なるほど。では13歳にしてドイツで一人暮らしを?
笠井 一応、面倒を見てくれる人がいたので、完全なる一人暮らしではなかったです。それでも夜遊びをしたり、頻繁にディスコに出入りしては、たまにDJをやらせてもらったり。自由で楽しい生活を送っていましたね。学校にもちゃんと通っていましたよ。高校生で夜遊びなんて、日本の感覚ではグレているように映るかもしれませんが、向こうではわりと普通だったので。
――そ、そうなんですか?
笠井 少なくとも僕の周りではね。実際、単純比較はできないにしても、感覚的には、ドイツの高校生の方が成熟していたイメージがあります。議論好きなドイツ人らしく、まだ選挙権を持たない高校生のうちから、みんな政治に対する意見は持っていましたし。そうそう、日本にいる家族から、たまに高校生向けの雑誌が送られてきたんですよ。読んでみると「デート中、いつ手を繋ぐのがベストか」みたいな話が事細かに書かれていて。正直、驚いちゃいましたね。仲の良い男女が手を繋いだり、腕を組んだりするのは、ドイツでは普通のこと。頬へのキスは挨拶です。「男女が手を繋ぐって、そんなにハードルが高いの!?」と、頭の中がハテナマークでいっぱいになりましたよ(笑)。
――思春期をドイツで過ごされた笠井さんからすれば、むしろ日本の感覚に違和感があったと。面白いです。ところで、まだ写真の話が出てきていませんが、高校卒業後はどのような進路に?
笠井 日本に帰国して、多摩美術大学の夜間学部に進学しました。写真に興味を持つのはその後です。順を追ってお話しすると、ドイツでは、試験に合格しないと高校卒業資格が得られないんですね。規模感で言うと、日本で大学入試を受けるのと同じくらい力を入れて臨まないといけない試験です。母国語でない分、国語や社会はどうしても不利。それらの科目はひとまず最低限の点数を目指すとして、ドイツ語のハンディがない英語や美術で点数を稼ごうと。積極的に絵を描き始めるうちに、美術分野の面白さに目覚めていって。高校を卒業した当初は、ドイツにある美術学校への進学も決まっていたんですよ。
――もともと漫画がお好きで、絵を描くのも得意な方だったと言われていましたし、美術分野に興味を持たれるのは自然な流れに感じます。
笠井 そうそう。ただ、ドイツでは一般的に、夏にひと学年の区切りがつき、秋から新学期が始まるのですが、僕が通う予定だった美術学校は特殊で、日本と同様の4月スタートだったんですね。進学まで時間が空いたし、久々に日本を満喫しようと、高校を卒業したタイミングで一時帰国すると、実家には心的な病に苦しむ母親の姿がありました。ドイツにいる間、その事実は全く知らなかったので、驚きしかなかったですよ。「こんな状態の母親を残してドイツには戻れないな」と、考える間もなくそう思いましたね。進学予定だったドイツの美術学校には事情を説明して、すぐに荷物をまとめて、日本に戻って。帰国してからのことは何も考えていませんでしたが、やっぱり日本でも、美術系の学校を探していましたね。
笠井爾示 編・第二話は9/9(金)公開予定! 「荒木経惟さんの写真集を見たとき、雷に打たれたような衝撃を受けました」。日記感覚で写真を撮り始めた大学時代を振り返る。
笠井爾示プロフィール
かさい・ちかし ●写真家。1970年生まれ、東京都出身。
趣味=自炊
1996年に初の個展『Tokyo Dance』を開催し、1997年に新潮社より同タイトルの写真集を発売。以降、音楽誌、カルチャー誌、ファッション誌、CDジャケットなど、幅広いジャンルを手掛けるほか、『月刊 加護亜依』『月刊 神楽坂恵』『月刊NEO 水崎綾女』など、月刊シリーズでも活躍。
主な作品集は、『東京の恋人』、『七菜乃と湖』、『トーキョーダイアリー』、『羊水にみる光』、『Stuttgart』、川上奈々美『となりの川上さん』、階戸瑠李『BUTTER』など。CYBERJAPAN DANCERS『BONJOUR!!』、渡辺万美『BAMBI』、Da‐iCE『+REVERSi』、橋本マナミ『接写』などのタレント写真集や、頓知気さきな『CONCEPT』、武田玲奈『Rubeus』など複数の写真家による合同写真集にも参加している。