『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』唐木貴央 編 第一話「ルーツを知る」 小学校の卒業文集に書いた「カメラマンになって、世界を飛び回りたい」

あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。


第14回目のゲストは、鈴木ちなみの『ちなみに…』や小島瑠璃子の『こじるりっ!』、大原優乃の『ゆうのだけ』など、数々の写真集を手がけてきた唐木貴央氏が登場。女の子の“初めて(ファーストグラビアやファースト写真集)”を多く切り取ってきた彼が語る、グラビアの魅力とは。


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――まずは、カメラマンになるまでのルーツを聞かせてください。学生時代は、どんなことに取り組まれていましたか?


唐木 中学時代は、3年間、剣道部に所属していました。夏になると、河口湖まで合宿に行っては鉄格子の中に閉じ込められ、そこでひたすら稽古をするという(笑)、かなり厳しい部活動で。相当、精神が鍛えられましたよ。最終的に、剣道は初段を取得。特別スポーツ好きだったわけではありませんが、普通に友達同士で、野球やサッカーなどもやっていましたね。高校に入ってからは、ガンズ・アンド・ローゼズやモトリー・クルーなど、アメリカのハードロックにどハマりして。同級生たちと組んだコピーバンドで、たびたびライブハウスのステージに立っていました。改めて話してみると、いろいろやっていますね。わりと好奇心旺盛な性格だったので、その時々にやりたいことを無我夢中でやっていた気がします。


――剣道に、ハードロックバンドですか。興味の赴くまま、あらゆるジャンルで活動的になれるのは、学生時代ならではですよね。


唐木 その中で、写真に興味を持ち始めたのは、小学生の頃に観たドラマの影響が大きいです。主人公が一眼レフのカメラを使って好きな女の子の写真を撮る。そんな描写が軸になっている恋愛ストーリーで、タイトルや誰が出演されていたかまでは覚えていないものの、現像所で好きな彼女の写真があがってくる様子を眺めているシーンに、妙なときめきを覚えたんですよね。


――おぉ、そんな素敵なドラマがあったとは!


唐木 中学生の頃だったかな?そのドラマに感化されるがまま、自宅に置いてあった一眼レフを持ち出して、友達の写真を撮ってみたんですよ。そしたら案外いい感じに撮れて、友達からも褒めてもらえて。まぁ、簡単にきれいな写真が撮れるオートモード搭載の初心者用のカメラだっただけで、僕がスゴいわけじゃないですけど(笑)。その体験がとても印象的だったんです。ただ、まだ中学生なので、カメラの性能や技術を理解するには限界があったというか。写真に興味を持ったといっても、厳密には、数ある趣味のひとつでしかなかったですね。


――写真と出会いはしたものの、まだ将来の夢=カメラマンにはならなかったと。


唐木 あっ、でも不思議なことに、小学校の卒業文集を見返すと「カメラマンになって、世界中を飛び回りたい」と書いてあったんですよ。実際、写真を仕事にしたいと本格的に考え出すのは大学生になってからなので、小学6年生の自分が「カメラマン」を夢見ていた事実に、われながらびっくりです(笑)。恐らく、深く考えてはいなかったでしょうけど。


――えーっ!スゴい話じゃないですか?小学校の卒業文集に書いた夢が叶っているなんて……。それで、写真を仕事にしたいと考え始めた大学時代は、何をされていたんですか?


唐木 カッコつけた言い方をすると、大学時代は、自分を探究する旅のような日々でした。自分には何があるんだろう。どんなものが好きなんだろう、と。常に、自分らしい生き方を探っていましたね。そんな中、突然、新しいもの好きの親父がPENTAXの最新一眼レフセットを買ってきたんですよ。ズームレンズが2本も入っているような、結構良いやつで。同封されていた説明書をサラッと読んでみると、かつて小中学生の頃に理解できなかった専門用語やカメラの性能をスラスラと読み解けたからか、もうそれだけで楽しくなっちゃって。「カメラってこんなにすげぇんだ!」と、機材に対する興味が湧いてきたんですよね。


――へぇ。機材に、ですか。これまで本コラムでお聞きしてきた話だと、写真を撮る行為(現像する行為)そのものが入り口になった方が多い印象なので、ちょっと新鮮です。


唐木 近所に咲く花や、工場が並ぶ風景など、身の回りのものを自分でも撮るようにはなりましたが、何よりも女性を写したポートレートを見るのが大好きで。小学生の頃にドラマで観た“好きな女の子を撮るときめき”や、漫画誌のグラビアをドキドキしながら見ていた思春期の感覚を思い出しては、好きなあの子をきれいに撮るにはどの機材を使うのが良いだろうかと、中古のカメラを漁ったり、レンズについて調べたりしていました。といっても大学生でしたし、いろんな機材を試すほどのお金は持っていなかったから、妄想ばかり膨らませていましたよ(笑)。


――実際に、好きな女の子を撮られた経験は?


唐木 もちろん。当時、気になっていた女の子に声をかけて、何度か撮らせてもらいましたよ。そこで奮発して買った選りすぐりの機材を試しては、うまく使いこなせずに悶々としていたんですけど(笑)。それでも、好きな女の子を撮る喜びはかけがえのないものでしたし、きれいにあがった写真を見せてあげると、彼女も嬉しそうにしてくれて。こんなにも幸せな世界があるのかと、写真を撮る充実感にも感動していました。写真を仕事にしたいと考え始めたのは、この頃です。確か、大学4年生になっていましたね。


――大学4年というと、一般的には就職活動に勤しむタイミングですよね。


唐木 周りの同級生たちがエントリーシートだ、面接だと、忙しない日々を送る中、本気でカメラマンになりたいなら、可能な限り手早く行動しなきゃと、ダブルスクールで夜間の写真専門学校に通い始めました。大学の卒業単位はほぼ取り終えていたので、昼間はフルタイムで派遣会社のアルバイトを。そこで稼いだお金で、フィルムを買い揃えていましたね。大変な生活でしたが、夢のためと思うと頑張れましたし、何だかんだで楽しかったです。今思うと、無謀な若者でしかありませんが(笑)。やらないよりはやる方が良いと、とにかく必死でしたよ。


――行動力がスゴい!アクセル全開ですね。


唐木 あはは。今思うと、少し生き急いでいた気もします。専門学校に通い始めると、より専門的な知識を求めて、写真専門誌『コマーシャル・フォト』(玄光社)を積極的に読むように。後ろのページに掲載されていたアシスタントの求人は、毎月欠かさずチェックしていました。野村誠一さん、渡辺達生さんなど、グラビア誌でお見かけする有名なカメラマンさんの名前がズラリと並んでいるんですよ。「ここで応募すれば、自分にもチャンスがありそうだ」と、早くも期待を募らせていました。結局、2年制の専門学校は卒業前に中退。1年半ほどで基本的なことは学べましたし、学校のスタジオで作品撮りを続けるのにも限界を感じていたんです。無事、大学を卒業したタイミングでもありましたし、これからはもっと現場を学ばないと話にならないと。『コマフォト』を頼りに、カメラマンの根本好伸さんに手紙を書いて、弟子入りを志願しました。


――おぉ〜、どんどん突き進んでいきますね。根本さんというと、いまだグラビア界の第一線でご活躍されている大ベテラン。もともとお好きだったんですか?


唐木 そうですね。本屋に行けば、必ず根本さんが手がけた写真集が置いてありましたし、キラキラとした写真が大好きでした。応募した後、面接を受けさせてもらうんですけど、当時の事務所がものすごくカッコいい内装で。壁は一面真っ白。中央に置かれてあるガラステーブルは、ボタンを押すとポジを見るためのライトボックスに早変わり。これがプロの事務所かと、感動しまくりでしたよ。


唐木貴央 編・第二話は10/14(金)公開予定! 「独立後、初のグラビア仕事はモーニング娘。の人数もの。師匠と二人の現場でした(笑)」根本好伸氏のアシスタント時代から独立までを語る。


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唐木貴央プロフィール

とうのき・たかお ●カメラマン。1977年生まれ、兵庫県出身。

趣味=美術鑑賞

カメラマン・根本好伸氏に師事し、2002年に独立。

主な作品は、『アロハロ!モーニング娘。さくら組&おとめ組写真集』(根本好伸氏、福岡諒祠氏と共作)、鈴木ちなみ『ちなみに…。』、小島瑠璃子『こじるりっ!』、志田友美『YUUMI』、片山萌美『人魚』、秋元真夏『真夏の気圧配置』、橋本梨菜『RINA × BLACK』、大原優乃『ゆうのだけ』、京佳『きょんにゅー』、大和田南那『りすたあと』、豊田ルナ『月-Luna-』、Liyuu『鼓動』、竹内詩乃『内緒』など。

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