『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』藤本和典 編 第一話「ルーツを知る」 “楽しい”に一直線の学生時代「映像を学びたくて日大に入ったはずが、写真の方が面白くなっちゃって」

あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。


第15回目のゲストは、大原優乃の初グラビア(デジタル写真集『実は私、○○だったんです』)や、現在グラビア界で話題沸騰中のYouTuberいけちゃんの最新グラビア(デジタル写真集『AS FREE AS A BIRD』)などを手掛けた藤本和典氏が登場。取材はまさかのキャンプ場で!? 一風変わった彼の個性と作品を探る。


藤本和典 作品のデジタル写真集一覧はコチラから!



――今回はカメラマンになるまでのルーツや撮影中のこだわりなどをお聞きしたいのですが……、あの、なぜキャンプ場に来てくれと……?


藤本 過去のインタビューを読ませていただいて、たまにはこういうシチュエーションもアリかなぁと。ダメでしたか?


――いやいや! むしろ本格的に焚火などの準備してくださってありがたい限りです。キャンプ、お好きなんですね。


藤本 好きですねぇ。東日本大震災が起こった時、津波で汚れてしまった写真を洗浄するというボランティア活動があって、それに参加したんですよ。そしたら、普段はガテン系のお仕事をされているお兄さん方がものすごくテキパキと働かれている中で、自分は、言われるがままにしか動けなかったんですね。無力さを痛感すると同時に、もし「ここで生活してみろ」と言われても自分はすぐに音を上げてしまうだろうけど、このお兄さんたちなら生き延びられるんだろうなと。そんな憧れから、自然の中、自力で生活するキャンプに興味を持ったんですよね。


――な、なるほど。キャンプ歴はかなり長いようですね。素敵なご提案&おもてなしをありがとうございます(挽きたてのコーヒーを振る舞ってくれました)。では本題に移りまして、学生時代の話から聞かせてください!


藤本 とにかく活発で目立ちたがりやな学生でした。自分で言うのも何ですが、中学生の頃は特にモテまして(笑)。教壇の前で友達と一緒に変なことをやってはクラスメイトを笑わせる、スポーツ好きのわんぱく少年だったので、先生からはいろんな意味で目をつけられていたと思います。エロに関して言えば、小学生の頃から好きでしたね。友達同士でガッツリ下ネタが入った名前の仲良しチームを作って、友達の従兄弟が大量に隠し持っていたエロ本を勝手に持ち出し、ひみつ基地で読み漁ったりしていましたから(笑)。


――ヤンチャ少年! でも、その明るく楽しい人柄は今も変わっていらっしゃらない印象です。


藤本 あはは。そうですね。女の子好きなところも、子どもの頃から変わっていないです(笑)。そうそう。中学生の頃に、兄の影響だったか剣道を始めたんですよ。ただ、高校の剣道部が思いのほか厳しくて。そこからは、わりと真剣に部活動に打ち込んでいましたね。まぁ、たまにヤンチャしつつですけど(笑)。


――高校卒業後は、どのような進路に?


藤本 結論から話すと、2年間、夜の店で接客のアルバイトをしながら浪人生活を送っていました。知り合いの先輩に誘われるがまま働き始めたものの、みんなでお酒を飲んでワイワイできる仕事が楽しくてしょうがなくて(笑)。バイトに精を出しすぎた結果、1年の浪人期間を無駄にしてしまい、2年目に伸びちゃったんですよね。


――本末転倒じゃないですか(笑)。ちなみに、当初はどんな大学へ行こうと?


藤本 高校在学中に受けたのは、スキーをメインに扱っている大学でした。子どもの頃、スキーが好きな両親に連れられて、何度も雪山に行って滑っていたんですよ。それで、大学受験の時期にちゃんと将来の夢を考えた結果、スキーのデモンストレーター(インストラクターの中でも高い滑走技術があると認められた資格保有者のこと)になろうかなと思いまして。ただねぇ、上には上がいるんですよ。福岡の北九州市育ちの僕では、雪国育ちの人たちの技術には到底敵わない。受験を通して、デモンストレーターになるハードルの高さを目の当たりにしました。「大学に進学するなら何か夢があった方が良いだろう」と、勢いで思いついた道でしたし、諦めるのもすぐでしたね。


――そうして浪人生活が始まると。


藤本 本音を言うと、浪人するなら旅に出たかったんです。でも、両親に大反対されて。日本一周を経験した母の弟に「長い人生のうちの1〜2年なんて大したことない。浪人させてくれるんだったら、今は素直に、大学進学に向けて勉強したら良いんじゃない?」と言われ、「今後、旅をする機会はいくらでもあるか」と自分を納得させて、受験に向き合った記憶があります。と言いつつ、1年目は夜のバイト一色だったんですけど(笑)。


――2年目はどんな感じだったんでしょう?


藤本 夜のバイトは続けつつ、さすがに勉強しなきゃと寮付きの予備校に通い始めました。ちょうど両親が、父方の実家がある山口に戻ることになったので、僕はそこで寮生活を。夜な夜なバイトをした後、朝は寮の点呼も兼ねてランニングをして。なかなかハードな日々でしたが、無事に、新たに希望していた日大(日本大学)の法学部に合格しました。


――おぉーっ、スゴいですね! って、どうしてまた日大に? しかも法学部ですか??


藤本 あはは。スキーからの法学部と聞くと訳が分かんないですよね(笑)。あのー、浪人生活を送る中で改めてやりたいことを考えた時に、今度は映像制作に興味を持ったんですよ。というのも当時、映画鑑賞にどハマりしていまして。映画『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロや『トレインスポッティング』の世界観に憧れてタバコを吸い始めるなど、いろいろと影響を受けまくっていたんです。母からも「あんた、映画好きなんだし、映像系の学校に行くのがいいんじゃない?」と背中を押され、具体的な進学先を調べると、日大の法学部に新聞科というメディア論や映像制作に特化した学科があって……、という感じでした。


――なるほど。お話だけを聞いていると、全然違う進路に進まれていて戸惑いましたが、10代後半から20代前半の時期なんて、やりたいことが定まっていなくても不思議じゃないですよね。


藤本 そうなんですよね。実際、映像を学びたくて大学に入ったのに、在学中は、当時お付き合いしていた彼女と一緒に入った写真部の活動に没頭するようになりましたし(笑)。逆に、ひとつハマるとスゴいですよ。キャンプにしても、たくさんグッズを集めてしまうので。その時々に応じて興味は移ろいやすいものの、「楽しい」と思えることには全力で向き合ってしまう性格なんですよね。


――ところで、その“写真部での活動”に没入されたきっかけは何だったんですか?


藤本 暗室作業にハマったんですよね。真っ暗闇の中、現像液に浸けた印画紙からパーっと絵が浮かんでくる感じ。時間を忘れて没頭できるくらい楽しくて。もちろん、撮る行為も楽しかったです。先輩たちが鉄道写真ばかり撮っている中、僕は、当時ムーヴメントになっていたHIROMIXさんや佐内正史さん、次第に、(戦前・戦後を代表する)木村伊兵衛さんや土門拳さんのポートレートに惹かれて、人物写真をよく撮っていました。他にもいろんなサークルに入りましたが、最終的に続いたのは写真部だけでしたね。


――カメラマンになりたいと思うようになったのも、その頃ですか?


藤本 彼女に「写真を撮っている姿がカッコいいよね。カメラマンになっちゃえば?」と言われて、「うん。なる!」って。単純でしょう(笑)? でも、写真が仕事になるかもしれないと意識し始めたのは、まさに、そんな彼女の一言がきっかけだったんですよね。とはいえ、グラビアに興味を持ったのはもう少し先の話です。当時は、どちらかというと作家寄りの写真に興味があったので。『ヤングジャンプ』を買っても、グラビアそっちのけで漫画を読んでいましたね(笑)。



藤本和典 編・第二話は11/11(金)公開予定! カメラマンのアシスタントを経てインド放浪へ!?「ここで生活ができたら、日本で何があっても大丈夫だと思いました」


藤本和典 作品のデジタル写真集一覧はコチラから!




藤本和典プロフィール

ふじもと・かずのり ●カメラマン。1977年生まれ、福岡県出身。

趣味=キャンプ、ゴルフ、バイク、スケボー、スキー

カメラマン・渡辺達生氏に師事し、2008年に独立。

主な作品は、手島優『Thank Yuu!』、広瀬すず『SUZU』、土屋太鳳『初戀。』、星野みなみ『いたずら』、北野日奈子『空気の色』『希望の方角』、飯田里穂『永遠と一瞬』、山崎真実『ひととき』、横山結衣『未熟な光』、阿部夢梨『ゆめり日和』、長尾しおり『少女以上、大人未満。』、あまつまりな『See-through』、東村芽依『見つけた』、高梨瑞樹『はだかんぼ。』、和泉芳怜『可憐な芳怜』、森みはる『Lastart』など。2021年には、tokyoarts galleryにて、グラビアアイドル・菜乃花とともに写真展「かわいいじゃない。」を開催。他、各誌で男性ポートレートやカレンダーなども手掛ける。

おすすめコラム

関連サービス