2022年12月9日 取材・文/とり
あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。
第16回目のゲストは、女の子のポートレートを中心に活動している写真家の田口まき氏。週プレでは、奥山かずさ『癒やし系ボディに仕上げました。』やゆきぽよ(木村有希)『サバイバル~ゆきぽよ的ギャルキャンプ~』などの撮影を担当。女の子への愛溢れるルーツや、グラビアへの向き合い方について話を聞いた。
——高校時代、古着屋でのアルバイトをきっかけに写真を撮られるようになった田口さん。卒業後は、地元・熊本から上京し、写真の専門学校に通われたと。学校では、どんなことを?
田口 スタジオワークとかプリント作業とか、本格的な実技の授業もたくさんあったんだけど、どうも苦手で。正直、学校にはあまり行かなかったんですよね(笑)。唯一、面白かったのは、たびたび講師として来てくださっていた写真家・五味彬さんの授業。写真史を学んだり、写真について考え話し合ったり、実技ではないところで写真を学ぶ内容だったんですよね。
——へぇ〜、面白そうな授業ですね!
田口 例えば「12時をすぎたら魔法が解けるシンデレラ。それなのに、魔法使いが生み出したはずのガラスの靴は、魔法が解けないまま王子さまの手元にあった。何故だろうか?」みたいな、謎の切り口で始まる授業があって。当たり前に受け入れていることも、当たり前じゃないかもしれない。まずは、ちゃんと疑問を持って考えてみようって話ですね。そんな感じだったから、五味さんの授業だけは、ほぼ欠かさずに受けていましたよ。
——有名な写真家のユニークな授業を受けられて。本格的に、プロのカメラマンになりたい気持ちも芽生えてきたのでは?
田口 そうですね。具体的には、その後、まだ専門学生だった頃に、写真家・鳥巣佑有子さんのアシスタントというか、ちょっとしたお手伝いを経験したことが大きいかな。鳥巣さんは、当時10代だった上野樹里ちゃんや蒼井優ちゃんなど、女の子のポートレートを撮ったり、旅写真を撮ったりしていた人で。まだ鳥巣さんも独立して間もなかった時期に、たまたま知り合うことができて、「よかったら仕事を手伝ってよ」と言われたんですよね。鳥巣さんには、既に男性のアシスタントさんがいたんですけど、女の子を撮る時は、アシスタントも女性の方が何かとスムーズだったみたいで。
——タイミング良く、たまたま知り合えたのもスゴいですね。独立したてじゃなかったら、そこまでフランクに手伝いを頼まれなかった可能性もあるでしょうし。
田口 ひとりの写真家が、個人で仕事を始めていく過程を間近で見させてもらったわけです。今思い返しても、勉強になることばかりでしたよ。それに鳥巣さんは、1ページ分の撮影でも、きっちりロケハンをして撮影に取り組む真摯な方。当然ながら、私が遊びで友達を撮る感覚とは全く違います。限られた時間の中で、カメラマンとモデルがお互いにプロフェッショナルとしてクオリティを追求し、作品を作り上げていく現場の工程には、感動すら覚えましたね。アシスタントと言っても、月に数回の仕事を半年間ほど手伝っただけなんですけど、間違いなく、仕事で写真を撮ることを初めて実感した経験でした。
——確かに、専門学生時代にそんな現場を目の当たりにしたら、めちゃくちゃ影響を受けてしまうかも……。
田口 でしょう? それで、すぐに私もお仕事がしたくなって、ことあるごとに「撮ってみたいです」なんて言っていたら、人づてに小さなお仕事をいくつかいただいて。ただの“写真家に憧れた専門学生”だったし、「若いうちから仕事をしていました」と胸を張って言えるようなレベルじゃなかったけど、ちょっとしたインタビュー写真なんかも撮らせてもらっていたんですよね。
——プロを目指すには好調なスタートじゃないですか。鳥巣さんのお手伝い含め、したくてもできなかった人はたくさんいるはずですよ。
田口 ただ、ある時、急に好きな人ができて。専門学校の卒業を待たずに、学生結婚しちゃったんです(笑)。結局、どこにも就職せずに卒業して。21歳から3〜4年ほどは専業主婦だったんですよね。
——うんうん。って、え? ……結婚!?
田口 あはは。まさかの展開ですよね。その頃は完全に恋愛モードで、カメラマンへの憧れも忘れていました(笑)。写真は続けていたものの、パンを焼いたり、魚を煮たり、日々の献立を考えることが仕事になっていましたね。たまにカメラマンのお仕事をいただいては、貯まったお金で海外をバックパッカーとして旅行することも。そういう自由な行動も快く許してくれるパートナーに甘えつつ、それなりに充実した毎日を送っていましたね。
——とはいえ、どこかで再びカメラマンを目指したから今があるんですよね。きっかけは何だったんです?
田口 24、5歳になり、ハッとしたんです。「そういえば、私はカメラマンになりたかったんだよな」って。自分でもビックリするくらい、いきなり写真への情熱が再燃しました。それで、写真を仕事にするなら、もっとテクニカルな部分を磨かなきゃいけないなと。ここでまたタイミング良くご縁があり、ファッションカメラマン・宮原夢画さんのアシスタントにつかせてもらうことになったんですよね。
——宮原さんといえば、ファッション誌やビューティー誌、広告など、幅広い分野で活躍される傍ら、モノクロフィルムで撮影されたアーティスティックな作品も有名です。スゴい巡り合わせですね。
田口 運が良かったです。とはいえ今回は、専門時代みたいな“お手伝い”じゃなく、正式なアシスタントとして迎え入れていただきました。電話取りや掃除、事務仕事も多かったです。おかげさまで、自分の社会経験の無さをヒドく痛感させられましたね。
——というと?
田口 例えば、事務所に電話がかかってくると、普通は「お世話になっております」と出るじゃないですか。そこを私は「もしもーし」って。バカみたいですよね。先輩アシスタントには何度も叱られていましたよ。現場では、撮影の様子をチェックする編集さんやヘアメイクさんの前に平然と立って、邪魔になってしまったりとか……。テクニカルを学ぶどころか、もっと初歩的な、社会人、仕事人としての基本が全くなっていなかったんですよね。
——な、なるほど……。
田口 そんな私をクビにせず、受け入れてくださった宮原さんと先輩アシスタントさんには頭が上がりません。ずっと体育会系の文化とは無縁の環境で育ってきたものだから、上下関係の意識も薄かったですし、仕事をしていく上で、写真を撮る以外の大切なことが分かっていなかったので。もしここで注意されていなかったら、今みたいにお仕事できていなかったかもしれない。ラッキーでしたね。……と、本当は3年間アシスタントを務めさせていただくはずが、結局、1年足らずのうちに自ら辞めてしまったんですけど。
——あらら。それはどうしてです?
田口 忙しすぎて、家に帰れないような日々が続いていました。もっと言うと離婚の危機だったし、仕事もプライベートもダメダメで、自分を見失っていたんです。唐突に、「探さないでください」と言わんばかりの勢いで辞めさせてもらい、ご迷惑をおかけしました。今思い返せば、そこでの経験が仕事をしていく土台になっていて、とても感謝しています。
——今までお話をお聞きしてきたカメラマンさんの中でも、かなり波乱万丈な印象です……。アシスタントを辞められた後は?
田口 写真と関係ないことも含めて、いろいろやりました。知り合いたちとデザインや編集系の制作会社を立ち上げたこともあったし、写真のお仕事もコツコツと続けていましたね。こうして振り返ると、何だか面白いね。突然、結婚したり、いきなり夢を追い始めたり、波があって(笑)。どの時期も楽しかったですよ。夢を忘れてパンを焼いていた専業主婦時代も幸せだったし、ひとつも後悔はないかな。
田口まき 編・第三話は12/16(金)公開予定! 商業誌でグラビアを撮る、とは。「グラビアファンのメインである男性にウケないと、雑誌で撮る意味がないのかなって」
田口まきプロフィール
たぐち・まき ●カメラマン。1981年生まれ、熊本県出身。
趣味=旅行
写真家・宮原夢画氏のアシスタントを経験後、2007年より活動。
主な作品は、佐々木もよこ『Juicy HIPs』、植野有砂『#ALISA』、三品瑠香『EPHEMERAL』、大場美奈『答え合わせ』、我妻ゆりか『わがままゆりかの天使な笑顔』、個展にあわせて出版された『Beautiful Escape』『SEACRET GARDEN /0』など。女の子のポートレートを中心に、グラビア以外にも、カルチャー誌やファッション誌、広告なども手がけるほか、ファッションレーベル「HAVA」の立ち上げに携わるなど、その活動は多岐にわたる。