『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』東京祐 編 第一話「ルーツを知る」 北海道の“日本一人口の少ない市”で過ごした学生時代「バンドを組んで、写真を撮って。いつも“何がカッコいいか”を考えていました」

あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。


第18回目のゲストは、2023年2月14日発売の菊地姫奈セカンド写真集『moment』でカメラマンを務める東京祐氏が登場! 週プレでは、昨年の#ババババンビ・岸みゆのグラビア(デジタル写真集『もっともっと。』)で初めて撮り下ろしが掲載されて以降、オファーが急増中。新進気鋭の若手カメラマンが語る、グラビアを撮る面白さとは。


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——本日は事務所にお邪魔させていただきありがとうございます! かわいいワンちゃんですね。部屋に入るなり飛びついてきて、スゴく癒されましたよ。


 すみません、まだ2歳なので遊び盛りというか(笑)。


——いえいえ、とんでもないです。お名前は?


 ガミちゃんです。そうあだ名で呼ばれている素敵なスタイリストさんがいらっしゃって。「犬に同じ名前をつけていいですか?」とお聞きしたところ、ご快諾いただいたんですよね。って、早速こんな話をしていて大丈夫ですか(笑)?


——そ、そうですね! 本題に移りましょうか。まず、東さんがカメラマンになられるまでのルーツをうかがいたいのですが、ご出身は北海道の歌志内(うたしない)市なんだとか。2023年現在、人口3000人に満たない“日本一人口の少ない市”と言われているそうですが……。


 そうですね。小学校の頃は、ひと学年20人くらいしかいないど田舎で育ちました。今はもう、小学校も中学校も廃校になったんじゃないかな。男の子がやるスポーツといえば、野球かスキーの二択だけ。バスケ部やサッカー部なんて、少なくとも歌志内市ではなかったです。


——選択肢が少なかったんですね。では、東さんも野球を?


 小学校4年生のときに遅れて始めました。野球くらいしか選択肢がなかったものの、それまでは、あまりやる気になれなくて(笑)。それでも同級生の男の子たちみんなが野球をやっていたし、途中で気が変わったんですかね。そのあとは、中学3年生まで続けていました。それくらい何もない田舎だったので、世間の流行りや情報が入ってくるのは極端に遅かったですけど、だからこそ、「ここでの正解は本当に正しいことなのか」「自分にとって何がカッコいいか」など、自然と自問自答する癖がついたような気がしています。単純に、厨二病だっただけかもしれませんが(笑)。


——といいますと?


 私、音楽が好きだったんですよ。中学生の頃からバンドを組んでライブ活動を行ない、高校でも軽音部に入ってベースを演奏していました。レディオヘッドというイギリスのロックバンドに影響を受けていたこともあり、当時は「暗い方がカッコいい」と思い込んでいたので、今振り返るとかなり恥ずかしいバンドでしたけど(笑)。


——おぉ〜、バンドですか。いいですね!


 音楽から派生して、ファッションにも興味を持ちました。限られた情報の中で、音楽雑誌やファッション誌を手当たり次第に読んでは、自分が「いいな」と思うものをひたすら突き詰めていましたね。写真を始めたのもバンド活動がきっかけでした。中学を卒業するタイミングでライブに立ったとき、せっかく続けているからには、何らかの形で活動を記録しておきたいなと。三脚を立ててライブ映像を録ったり、友達のライブ写真を撮ったりするために、お年玉でカメラを買ったんですよね。


——へぇ、もともと写真に興味はあったんですか?


 なかったです。カメラを持っていたとはいえ、ライブ以外の写真は基本的に撮らなかったですし。ただ、やっぱり何もない環境で育った分、自分でゼロから何かを生み出すことは、子どもの頃から好きだったように思います。バンド活動や写真に加え、他にも学園祭の衣装デザインやグラフィックなども自主的に作っていましたから。既存のデザインを見て、「ここ、こうしたらもっとかわいいのに」なんてことも、無意識のうちに考えていた気がしますね。


——北海道の長閑な環境で、独自のクリエイティブに没頭された少年時代だったんですね。都会への憧れはなかったですか?


 ありましたよ。「早くここから出たい」とばかり思っていました。田舎で暮らしていると、想像を超えてくる出来事と滅多に出会えないんですよね。自分以上の表現活動をしている同世代の若者もいないし、自分から刺激を求めにいかないと、ただ退屈な日々が流れていくだけなんです。結局、親の勧めもあり、大学進学をきっかけに上京しました。厳密には、神奈川の大学に進学して、最初に住んだのは横浜だったんですけど。


——いきなり大きく生活環境が変わったかと思います。大丈夫でした?


 山手線とかスクランブル交差点とか、ごった返す人波を見ただけで「無理だ」と思いましたね(笑)。しばらくは電車すら乗れなかったです。どうも具合が悪くなっちゃって……。


——そ、そうですよね……。ちなみに、大学では何を学ばれていたんですか?


 一応、法律学部に入学したんですけど、何を学んだか全く覚えていないです。大学生活は、4年後に就職活動を迎えるまでの猶予期間だと思っていました(笑)。ひたすら遊んで、いろんな人に会いに行って、暇さえあれば横浜のルミネに入っている京料理屋と中目黒の夜カフェでバイトする、という。法学部を選んだのは、文系学科の中でいちばん響きがカッコいいと思ったからです(笑)。将来のことなんて、何も考えていませんでしたよ。


——まぁ、間違いではないような(笑)。実際、音楽やファッションなど、お好きなカルチャーとの出会いも格段に増えたんじゃないですか? 


 そうですね。当時は、レコード屋さんやライブハウスに通い詰めては、誰よりも早くいいバンドを見つけることに優越感を覚えていました(笑)。まだ誰も知らないような古着屋さんを開拓するとか。いろんな大学のインカレサークルに出入りしたり、渋谷・原宿に屯(たむろ)している若者たちと積極的に交流したり、大学の外でも多く友達を作っていましたね。そうするうち、趣味の近い仲間と多く出会えた反面、自分とは全く違うジャンルに興味を持っている人と関われたのも新鮮で面白かったです。


——スゴい行動力! 東さんって、静かで落ち着いていらっしゃるイメージだったから、ちょっと意外かも。


 今となっては自分でもビックリですよ(笑)。当時は、本能的にそうしなきゃいけない衝動に駆られていた部分が大きい気がします。それに、ちょうど僕が20代前後だった頃は、いわゆる原宿系ブームだったというか。奇抜な髪色や、カラフルなファッションなど、派手な格好をした若者が多かったんですよ。私も長髪にしたり、髪を赤くしたり、それなりにハメを外していましたね(笑)。


——ますます意外です! ところで、上京後もバンド活動は続けられていたんですか?


 大学で出会ったメンバーと新しいバンドを結成して続けていましたよ。ゆくゆくスタジオマンになるのですが、スタジオを辞める直前くらいまではやっていましたね。……と、自分で話していて思いますけど、なかなか生意気ですよね(笑)。世間知らずだったし、根拠のない自信だけはあったんだろうなぁ。お恥ずかしい限りです。


東京祐 編・第二話は2/10(金)公開予定! 荒木経惟氏に学んだスタジオマン時代を語る「SNSに作品撮りを載せたり、年に2〜3回は写真展をやったりしていました。それくらいやらなきゃカメラマンにはなれないでしょう」


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東京祐プロフィール

あずま・きょうすけ ●カメラマン。1989年生まれ、北海道出身。

趣味=ゲーム、アニメ鑑賞、キャンプ、スノボ、料理、愛犬の散歩など

2023年2月14日に発売される菊地姫奈セカンド写真集「moment」を手掛けたほか、主な作品は、上白石萌歌「まばたき」、梅澤美波「夢の近く」、山田杏奈「BLUE」、新内眞衣「夜が明けたら」、松下玲緒菜「in the seasons」、守屋麗奈「笑顔のグー、チョキ、パー」、三品瑠香「ひととき」、秋元真夏「振り返れば、乃木坂」など。プライベートワークとして、女優・モデルなどのポートレートを掲載するWeb Magazine「人色」を月1で更新中。

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