『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』カノウリョウマ 編 第一話「ルーツを知る」 専門時代の恋人が教えてくれたこと「写真が下手な生徒だったにもかかわらず、彼女は “写真を撮る人”として僕に接してくれたんです」

あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。


第19回目のゲストは、2023年3月22日発売の『えなこカレンダーブック 2023.4~2024.3』でカメラマンを務めるカノウリョウマ氏が登場。明るく現場を盛り上げるカメラマン・LUCKMAN氏に師事し、現在はグラビアを初め、ポートレート写真を中心に活動している彼が語る、仕事、写真への思いとは。


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——本日は、カノウさんのご自宅で取材をさせていただけるということで……、かわいい猫ちゃんと一緒にお出迎えいただきました。


カノウ ラグドールのラグちゃん、男の子です。子どもの頃からずっと猫が飼いたくて、最近ようやく飼い始めたばかりで。だいぶ大きいですが、まだ生後5ヶ月の子猫なんですよね。


——人懐っこいイケメン猫ちゃんですね。癒されます(笑)。では早速、カノウさんがカメラマンになられるまでのお話をうかがっていきたいのですが、子どもの頃はどういうお子さんだったんですか?


カノウ 小学校4年生から中学3年生まで、ずっと地域の少年野球チームに入って野球を続けていました。特に小学生の頃は、足が早かったのでリレーの選手に選ばれたり、学級委員長をやったりと、活発な性格でしたね。ただその反面、ものづくりが好きなインドアな一面もあって。当時流行っていたカードゲーム『遊☆戯☆王』で、自分が理想とするモンスターを紙に描いては、オリジナルのカードを作って遊んでいましたね(笑)。中学生の頃は、地域の野球チームに加えて学校の野球部にも所属していたのですが、同時に音楽にもハマり始めて。友達の家で、ギターの練習なんかもしていましたね。


——好奇心旺盛ですね。音楽は何がきっかけで?


カノウ 中学2年生の時、友達のオノくんがGOING STEADYというバンドを教えてくれたんです。銀杏BOYZの峯田和伸さんがインディーズ時代に組んでいたバンドですね。「童貞ソー・ヤング」など、思春期特有のもどかしい気持ちを歌った楽曲に、一気に心をわし摑みにされたんです。オノくん自身は、中2の夏頃から不登校になって、家でずっとヘヴィメタを聴いているような男の子だったんですけど。


——学校に来られなくなった後も、カノウさんは“オノくん”と仲良くされていたんですね。


カノウ 物知りで面白い友達でしたから。ギターも、オノくんに習っていたんですよ。高校生になってからは、野球を一切辞めて軽音部に入りました。といっても、練習は週に一度あるかないか。たまに文化祭やライブハウスのステージに立たせてもらったとはいえ、「バンドをやっていました」と胸を張って言えるほどの活動はしていなかったです(笑)。


——野球に、バンドに……、青春じゃないですか! ちなみに、その頃は将来の夢とかあったんですか?


カノウ 全くなかったです。特にやりたいこともなければ、秀でたものもなかったし、普通の大学に入って、普通の会社員になって、死ぬまでに日本一周でもできたらいいかなーって。夢も希望もなかったですね。


——小中学生までは活発な性格だったとおっしゃっていたのに。意外ですね。


カノウ 思い返せば、中学生になって途端に足が遅くなったんですよ(笑)。それから、活発さも次第に落ち着いていったように思います。夢も希望もなかった一方で、「自分は、本当は何がしたいんだろう?」ということも、ずーっと考えていました。というのも、親父が東京友禅作家(着物などに絵付けをするデザイナー)をやっていて、子どもながらに、“少し変わった仕事をしている親父”がちょっとした誇りでもあったんですよね。進路を考える高校2年生のタイミングで、改めて親父の職業について考えてみたとき、“誰かの手もとに一生残るかもしれないモノ”を作っているのはスゴいことだと気が付いて、漠然と「自分も何か“モノ”を作る仕事がしたい」と思うようになって。具体的には、アーティストのアルバムジャケットのデザインに携われたら楽しそうだなと、グラフィックデザイナーに憧れました。


——将来を模索されていたんですね。先ほど、ものづくりもお好きだったと話されていましたし、どこか自然な憧れのようにも感じますが。


カノウ と言っても子どもの頃は、遊び感覚で何かを作る程度でしたから。当然、デザインは全くの無知です。美術の先生に相談したところ、「デザイン系の大学に行きたいならデッサンを勉強した方がいい」と言われて。急遽、土日コースがある美術予備校に1年ほど通うようになりました。そこでは、生徒たちが描いたデッサンが評価ランクとともに張り出されるんですけど、僕の絵は明らかにみんなより下手くそで、評価もランク外。負けじと頑張ってはいたものの、どうやら、多摩美(多摩美術大学)や武蔵美(武蔵野美術大学)などの有名な美術大学は、僕には難しそうだと。多摩美や武蔵美を目指す学生が滑り止めとして受ける桑沢デザイン研究所(美術系の専門学校ではトップクラス)を第一希望にして、受験をしたのですが、あいにく結果は補欠で……。


——補欠なら、滑り止めとして受けた合格者が辞退すれば、繰り上げ合格が期待できますよね。それでも望みが薄そうな感じだったんですか?


カノウ 「多分、大丈夫だよ」と周りからも言われていました。期待虚しく、繰り上げ合格の連絡は一向に来なかったですけどね。周りは進学先が決まって浮かれている中、僕だけ2月末になっても進路が決まっていない。もうね、気分は沈みまくっていましたよ。浪人する手もあったのですが、やはりデッサンには自信がなく。「ここは技術的な選考がないから」と、美術の先生に追加で勧めていただいたアサビ(阿佐ヶ谷美術専門学校)の第三次入試を急ぎ足で受け、卒業ギリギリで進学を決めました。


——なかなか大変な受験期だったんですね。でも、ちゃんと美術系の学校に進学されたようでホッとしました。アサビでは、具体的にどんな勉強を?


カノウ 入学して最初の一学期は、視覚デザイン、空間デザイン、写真、映像、現代美術、絵画……と、2週間ほどのローテーションで、一通りの授業を受けられたんです。グラフィックデザイナー志望に変わりはなかったので、最終的には視覚デザインを専攻していたのですが、いろんな授業を受ける中で、ふと写真の授業にも興味を持つようになって。


——おっ、ここで写真の話に繋がりましたね。でも、何故いきなり写真に興味を?


カノウ アサビに進学する前から、写真の授業は何となく気になっていたんです。ただ、デッサンが下手だったように、ここでも僕は劣等生で。あるときフィルムを現像しようとしたら、リールを巻くときにフィルムがグチャグチャになってしまったんです。失敗は誰にでもあるのですが、先生にも「ここまでダメになったフィルムを見たことがない」と言われる始末で、一時期、写真工房の先生の間でのあだ名が“フィルムぐちゃ男”になってしまったほどで(笑)。今だから笑い話にできますけど、当時はかなり悔しかったんですよね。真面目にやっているつもりなのに、感覚でできちゃう人もいるんだって。それが、写真の授業にのめり込んだきっかけのひとつでした。もうひとつ、きっかけをあげるとしたら、先生の助手として授業を教えてくれていた5歳年上の女性とお付き合いしたことですかね。


——ほうほう、5歳年上の……って、えぇ〜!? 授業を教えてくれていた先生の助手さんが彼女になったってことですか!??


カノウ そうです(笑)。向こうからアタックされて付き合うことになったんですけど、当時19歳の僕からすれば、24歳の女性ってスゴく大人だったんですよね。その方は写真作家を目指していて、作品撮りをしながら先生の助手として働いていて。お付き合いしてからは、僕の知らない写真の話をたくさん教えてくれました。好きな写真家の作品を見せてもらったり、一緒に写真、美術展に行ったり。彼女のおかげで、写真への知識と興味がグッと広がったんですよね。


——ヘぇ〜、何だかドラマみたいな話ですね。クラスの劣等生だった男の子が、写真作家を目指す年上の女性と付き合って、写真の話をしているだなんて。


カノウ 何より嬉しかったのは、ただの専門学生としてではなく、いち写真を撮る人間として僕と接してくれたこと。「カノウくんは、カラー写真の方が向いてる気がする」「カノウくんは、つめたくてあたたかい写真を撮るよね」など、写真を介して僕のことを見てくれたんです。この感覚は、新鮮で面白かったですね。


——その頃には、グラフィックデザイナーよりもカメラマンになりたい気持ちが大きくなっていたんですか?


カノウ いや、そういうわけでもなかったですね。一応、グラフィックデザイナーになるつもりでいたのですが、就職活動のタイミングで「せっかくだし、写真スタジオも受けてみようかな」と、何気なしに小学館スタジオに応募してみたんです。そしたら何と、サラッと受かってしまって。面接に持っていったポートフォリオも、写真より圧倒的にデザインの作品が多かったのに、です。もし小学館スタジオがダメだったら、どこかデザイン事務所に入ろうと考えていたので、自分でもまさかの展開でした。「これは“写真をやれ”という神からのお告げかもしれない」と、小学館スタジオに就職しました。


——「神からのお告げ」って(笑)。


カノウ あはは。まぁ、「グラフィックデザイナーになりたい」と言いながらも、心のどこかで“写真”という選択肢があったんでしょうね(笑)。


——ちなみに、カノウさんに多大なる影響を与えた彼女さんとは?


カノウ スタジオに就職した数ヶ月後に別れてしまいました。僕自身、デザイン学校の出身だったので、スタジオワークの知識はほぼゼロから覚えなきゃならなくて。環境が変わって余裕もなくなり、すれ違いが増えてしまったんですよね。でも、彼女とお付き合いしていなかったら、今の僕はいないと思います。どこかでグラフィックデザイナーになっていたか、はたまた全く別の仕事をしていたか。僕に、豊かな写真の見方を教えてくれた彼女には、今でも感謝しています。



カノウリョウマ 編・第二話は3/17(金)公開予定! 師匠・LUCKMAN氏から学んだ明るさ「アシスタントを卒業するときも、『好きにやったら良いじゃん』って」


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カノウリョウマプロフィール

かのう・りょうま ●カメラマン。1988年生まれ、東京都出身。

趣味=サウナ、猫と遊ぶこと

カメラマン・LUCKMAN(樂滿直城)氏に師事し、2016年に独立。

2023年3月22日発売の「えなこカレンダーブック 2023.4~2024.3」を手掛けているほか、宮内凛「凛と」、松田美里「となりがいい」、澄田綾乃「PURITY 」、本郷柚巴「2nd写真集(仮)」、金子隼也「Be Myself」などの写真集を撮影。スタジオマン時代、アシスタント時代に、第5回、第10回写真「1_wall」展にて入選。プライベートワークに、キューバで撮影した写真を編纂した「TRINIDAD(トリニダード)」がある(2020年12月に高円寺「GALLERY33」で同タイトルの個展を開催した)。

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