『初グラビア物語~My First Gravure Story~』第55回前編 国民の愛人・橋本マナミが語る初グラビアの記憶「私のカット、山口百恵さんみたいだと話題になったんです(笑)」

『週刊プレイボーイ』に登場するタレント、女優、アイドルなど、各分野で活躍する女性たち。彼女たちの記念すべき「初グラビア」にフォーカスし、撮影にまつわるエピソードや当時の想いを綴る本シリーズ。今回は「国民の愛人」と呼ばれ、センセーショナルな話題を度々巻き起こした、橋本マナミさんの前編。

 

橋本さんは1997年、中学校1年生の時「全日本国民的美少女コンテスト」で、演技部門賞を受賞し、橋本愛実名義でデビュー。CMなどへの出演を経て、ムック『ASAHI PRESS volume2』(朝日出版社)で初グラビアを披露。その大人っぽい姿が注目を集め、グラビアアイドルとして活躍。


2012年、27歳で事務所を移籍し、橋本マナミ名義で活動を開始。それまでと一変したあまりに大胆すぎるグラビアは「若き熟女」「平成の団地妻」「国民の愛人」などと呼ばれ大きな話題に。タレント、女優として幅広く活動をするようになりました。


『週刊プレイボーイ』では2001年50号に初登場。現在までに登場回数は20回を重ね、特に2013年以降は表紙を4回飾るなど熱烈な支持を得ました。


今回は橋本さんに芸能界に入った経緯から、初グラビア、橋本愛実から橋本マナミに至ったエピソードなどを聞きました。 


『週刊プレイボーイ』2005年9号(撮影/熊谷貫)より


ーー週プレにご登場いただいたタレントさんに、初グラビアのお話をその前後とあわせて伺っています。もともと橋本さんが芸能界を目指したのは小学6年生頃だったとか。


橋本 はい。当時、身長が160cmほどあったんですけど、先生が「背が高いから」と、運動会の聖火ランナーや鼓笛隊の指揮者などに推薦してくれたんです。引っ込み思案な性格なので最初は嫌でしたけど、だんだん注目されるのが楽しくなって。あとドラマ『ひとつ屋根の下』が好きで、自分もテレビに出たいと思うようになりました。それらが重なって、芸能界を志すようになりましたね。


ーーそこからオーディションを?


橋本 そうです。中学1年生の時(1997年)、両親に芸能界に入りたいと相談したら大反対されて。そんな時、5年ぶりに「全日本国民的美少女コンテスト」が開催されることを知り、落ちたら諦めるという約束で受けました。すると幸運にも演技部門賞をいただきまして(笑)。事務所に所属し、以降、毎週末、地元・山形から往復6時間かけ上京し、演技レッスンを受けるようになったんです。


ーー最初の芸名は、橋本愛実でしたよね。


橋本 本名は細川愛実なんですけど、女優の細川直美さんと紛らわしいので母方の姓の橋本をとって、橋本愛実でデビューしました。ただその名前、姓名判断だと字画が良くないんですよね。私はイヤでしたけど、事務所は「悪ければ、それより下に落ちないからいいだろう」って(笑)。当初はCMのお仕事をたまにいただき、ドラマのオーディションなどを受けていました。



ーーそんな橋本さんがどんな経緯でグラビアをやることに?


橋本 そのドラマのオーディションがことごとくダメだったんですよ。一方で歌も下手だし、モデルをやれるほど細くない。でも胸はあるし、グラビアであればいけるんじゃないかと。あと当時は優香さんらが活躍するなど「グラビア黄金時代」だったんです。登竜門として挑戦してみようって。そうしたら写真家の宮澤正明さん全撮影のグラビアムック本『ASAHI PRESS volume2』(2001年6月1日発売/朝日出版社)に出させていただけることになりました。それが17歳の時。私の初グラビアです。


ーー中身を拝見しましたが、ショートヘアの橋本さんが白や黒のビキニを着て白が基調の部屋で佇む……じつに初々しいグラビアです。


橋本 ものすごく緊張しましたよ。山形の田舎娘で、それまでスクール水着しか着たことなかったんです。それが男性スタッフに囲まれ、いきなりビキニで撮影されるって。正直、早く帰りたかったです(笑)。後に宮澤さんに聞いたら、この時の私は顔がこわばっていて、笑顔を引き出すのに苦労したって言っていましたね。


ーー現場で印象に残っていることはあります?


橋本 あるスタッフさんに「あなたのことは誰も見てないから、大丈夫だよ」って言われたことかな。「過剰に意識せず、リラックスして」と言いたかったんでしょうけど、その時は言葉通りに受け取ってしまって。低かったテンションがもっと下がりました(笑)。とはいえ掲載誌が出たら嬉しくて、何冊も買いましたけど。


 


ーー誌面では橋本さんのグラビアが巻頭を飾っています。大勢からの期待が伺われます。


橋本 期待はされていたかも。この撮影の翌日、写真集の撮影(『Bun Bun Bum』2001年・撮影/𣘺本雅司)でオーストラリアのケアンズへ1週間、出かけましたから。海外ロケがまだ多い時代だったとはいえ、今から考えると破格ですよね。本当にありがたい!


ーーその写真集のアザーカットによるグラビアが『週刊プレイボーイ』2001年50号(11月27日発売)に掲載されました。これが橋本さんの週プレ初登場。扉ページでは美しい海をバックに濃紺のビキニを着て、前屈する姿が。満面の笑顔ではなく、さりげない微笑がやけに艶っぽいです。


橋本 その私のカット。当時は山口百恵さんみたいって新聞などで話題になったんです(笑)。大人びた表情が似ているって。自分で言うのもなんですけど確かに17歳には見えないですね。


ーーもともと中学生の頃から大人っぽかったとか。


橋本 中1で「OL3年目」と呼ばれていました(笑)。でも見た目だけで中身は全然ついてこなかったですけど。


ーーその後、週プレでは2004年10号(2月23日発売)に2回目となるグラビアで初の撮り下ろし。以降2006年までに合計5回登場します。」


 

『週刊プレイボーイ』2006年29号(撮影/熊谷貫)より


橋本 (グラビアを見ながら)どんどん大人っぽさを増していますよね。高校の頃は制服を着ると「コスプレでしょ?」と言われ、20歳頃になると「おじさんの愛人がいるでしょ?」と言われましたけど、まぁ納得というか。笑顔が苦手なのもあったけど、どれもほとんど笑っていないし、アイドルみたいな明るさもないし。やっぱり実年齢より上に見えます。ただこの時期からグラビアに出る度、スッキリしない想いを抱えていたんです。


ーーそうなんですか? 写真集だって2006年までに3冊出していますし、順調だったんじゃないですか?


橋本 いや、当時売れている子ってバンバン表紙を飾って、毎週のように海外に行っていたじゃないですか。でも私はグラビアには出ていたけどそこには至らなくて。写真集を出して、イベントをやっても会場に5〜6人しか来ないこともありましたし……。どうしたらもっと注目してもらえるかずっと悩んでいました。


ーーその売れている人とは、例えばどんな人?


橋本 事務所の同期でいえば上戸彩ちゃん。他事務所所属で近いイメージでいえば、瀬戸早妃ちゃん、矢吹春奈ちゃん、小林恵美ちゃん、相澤仁美ちゃんとか。お姉さん系のイメージは一緒だけど、私は力強さが足りないんですよ。目力にしたってみんなほど訴えかけるものがない。だからインパクトのあるグラビアにならないんです。鏡を見て研究するけど、どうしたらいいかわからないからずっともどかしくて。で、自信がないから、いいグラビアにならない悪循環にハマり、ついには撮り下ろしが減って。女優のお仕事もパッとせず、悩んだ結果、一度芸能界を離れました。


ーー無所属の頃は、一般のバイトをされていたそうですね。


橋本 していました。居酒屋の店員、テレオペ、倉庫の事務所とかいろいろ。その合間に面接をいくつか受け、今の事務所に移籍しました。それが2012年、27歳の時です。心機一転したいのと少しでも運が上向けばと、名前も橋本マナミとカタカナに。それだと字画がよいので今度こそは!と気合が入りました(笑)。


ーー週プレには2013年36号(8月26日発売)に7年ぶりに登場。タイトルは「カラダごと癒してください」。温泉旅館を舞台に着物姿で現れ、それを徐々に脱ぎ、最後はタオル一枚にというストーリーでした。それまでとはあまりに違うセクシーな姿を披露し、読者に衝撃を与えましたけど一体、何があったんですか!?


 

『週刊プレイボーイ』2013年36号(撮影/井ノ元浩二)より


橋本 じつはその1年前に『FRIDAY』さんからグラビアのオファーをいただいたんです。グラビアは自信をなくしかけていたので抵抗があったんですけど、仕事がないのでやるしかないと腹をくくって行ったら、現場には「手ぬぐい一枚」だけ(笑)。で、その手ぬぐいでギリギリセクシーなグラビアを撮ったら、それが大好評で!


それまでグラビアをやってても、媒体からリピートの依頼ってほとんどなかったんですけど、それ以降、各誌から撮り下ろしのお話をいただくように。嬉しくて、いかにドキッとさせるかを考えるようになり、服の脱ぎ方から表情、視線の置き方まで研究したんです。するとまた好評で、ついには週プレさんにまで声をかけてもらえることに。この「カラダごと〜」もノリノリで撮っていただきました。


ーー手ぬぐい一枚から、セクシー路線への変更が成功したと! 確かにこのグラビアも水着の類は一切なかったですよね(笑)。


橋本 そうですね(笑)。路線を変えて何よりよかったのは表情です。昔から笑顔が苦手だったんですけど、無理に笑わなくていいので余計に意識する必要がなくなり、結果、余裕をもって見せられるようになりました。おかげでそれまでになくグラビアを楽しめるようになりました。



橋本マナミ(HASHIMOTO MANAMI)

1984年8月8日生まれ 

山形県出身 身長168cm 血液型=AB型

○ドラマ、バラエティ、グラビアと幅広く活躍。

公式サイト【https://irving.co.jp/talents/manami-hashimoto/】

公式Instagram【@manami84808】

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