2022年8月12日 取材・文/とり 撮影/日暮 翔
あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。
第12回目のゲストは、前田敦子の写真集『ATSUKO』(前代未聞!3冊連続リリース作の完結編)や新人時代の馬場ふみか(デジタル写真集『1stグラビアセンセーション!』など)を撮影した中山雅文氏が登場。幅広い人脈を持つこだわりや、多くの編集者から愛され続ける理由を探る。
――アウトロー系雑誌『BURST』(コアマガジン)の編集部員からカメラマンに転向された中山さん。約1年半、六本木スタジオにて勤務されたのち、憧れのカメラマン・久保田(昭仁)さんのアシスタントになられたんですよね。
中山 はい。といっても、アシスタント時代は短く、先生のもとには約10ヶ月しかいなかったんですけどね。
――えっ、そんなに短かったんですか?
中山 そうなんですよ。まぁ、僕もかなり生意気なアシスタントだったように思います。まだ若かったし、先生に指摘されても平気で言い返していたので、しょっちゅう「お前は誰かの下につくタイプじゃないな」と言われていましたよ(笑)。だからというわけではないんですけど、他にもいろいろと止むを得ない事情が重なり、次第に先生の現場に行く回数も減ってしまって。アシスタントについて1年も経たないうちに、先生から「どこか気になる媒体を探して、営業でもしてみたら?」と言われるがまま、僕を拾ってくれそうな雑誌を片っ端から調べ始めたんですよね。
――忙しないですね……。では、久保田さんのもとでアシスタントらしいことは何も?
中山 いえ。最初のうちは、ロケについて行っていましたよ。しかも、僕がアシスタントをやっていた頃の先生は、週プレでのお仕事をよくされていて。僕自身、グラビアを撮るなら絶対に週プレでやりたいと思っていたので、そこで同世代の編集さんと知り合えたのは良かったですね。ただ、そのツテを辿って週プレに営業しようにも、女の子の写真を持ってきてくれないと分からないと、なかなか取り合ってはもらえず。かつて勤めていた『BURST』の編集部から、ちょくちょくお仕事をいただくことはあっても、撮るのは男性の写真がほとんどだったから、週プレへの営業資料にはならなかったんですよね。
――全くジャンル違いですもんね。
中山 それでも根気よく、どうにかして女の子を撮らせてもらえそうな雑誌を探していたら、『MAN-ZOKU』(プレジャー・パブリッシング)という風俗誌を見つけたんです。後ろの方のページには、デカデカと「カメラマン募集」の文字が。早速、履歴書を送ったものの反応がなかったので、直接編集部に電話をかけてみると、会って話を聞いてもらえることになって。どうやら何かの手違いで履歴書は届かなかったそうなのですが(笑)、事情を説明したところ、何とかそこで撮らせてもらえるようになったんですよね。
――へぇ。風俗誌ということは、風俗で働く女性を撮影されていたんですか?
中山 そうです。ありがたいことに、毎月2週間ほどある撮影週のなかで、1日5人もの女の子を撮らせてもらえたんですよ。単純計算で、1ヶ月にトータル50人。それも、狭い部屋や照明の薄暗いラブホテルなど、撮影に向かない場所で撮ることがほとんどです。まだ正式に先生のアシスタントを辞めたわけではなかったので、現場を手伝いつつでしたけど、『MAN-ZOKU』での仕事を2〜3年ほど継続させてもらえたのは、かなり実践的な訓練になりましたよ。
――す、スゴいです。3年間で約1800人もの女性を撮影されたってことですもんね。
中山 そうそう。その『MAN-ZOKU』で撮影した女の子の写真を持って、週プレの編集部に何度も営業に行きましたよ。一回で全部見せちゃうと、次の機会がなくなってしまうと思ったから、少しずつ小出しにしてね。多いときは週1ペースで編集部に出入りしていました。今考えると、だいぶヤバいやつですよね。定期的に作品を持ってくるカメラマンって(笑)。でも、そしたら同世代の編集さんが初めて週プレでのお仕事をくださったんです。「ミスマガジン2004」でグランプリを獲得した小阪由佳ちゃんの5P撮り下ろし。僕にとって、初めてのグラビアです。
――初っ端からグラビアを撮られていたなんて!これまで本コラムで聞いた話だと、最初は取材ページのお仕事から始められる方がほとんどだったので、珍しいように感じますよ。
中山 まぁ、その後お声がかかることはしばらくなかったんですけどね。また週1営業の繰り返しです(笑)。次に、週プレからお仕事をいただけたのは約1年後だったかな。同じ編集の方から、今度は相澤仁美ちゃんのグラビアをお願いしていただきました。僕自身、久々の週プレだったのでだいぶ気合いが入っていましたよ。新宿にある古びたホテルの一室で二人っきりにしてもらい、2時間かけてひとつのシーンを撮影した思い出があります。
2006年11月6日発売『週刊プレイボーイ45号』に掲載
――2時間も!?相当、集中されていたんですね。
中山 その分、手応えもありました。特に、扉に使われた見開きカットは、週プレ編集部内での評判がスゴく良かったようで。この1枚がきっかけとなって、ほかの編集さんからも仕事を振っていただけるようになったんですよね。今の僕があるのは、相澤さんと、実績も何もない僕にグラビアを任せてくださった編集さんのおかげ。いまだにこのページのことは忘れられませんよ。
――確かに、中山さんがお好きな生っぽさも感じますし(一話参照)、インパクトのある見開きですよね。気合いが写真に表れています。週プレ以外のお仕事はどうだったんですか?
中山 週プレ以外だと、ちょうど相澤さんのグラビアを撮る前に、とある雑誌で、当時新人だった堀北真希ちゃんの16ページグラビアを撮らせてもらいましたよ。営業がきっかけでいただいたお仕事だったんですけど、これから来るであろう旬な女の子を撮らせてもらえたのは、やっぱりうれしかったなぁ。
――16ページって、なかなか新人カメラマンが任されるページ数じゃないですよね。まだ駆け出しとは思えないくらい大きな仕事をされていたんですね。
中山 でも僕は、とにかく“週プレで撮ること”にこだわっていました。週プレという雑誌が何より大好きだったし、言ってしまえば、グラビア誌の頂点じゃないですか。週プレからグラビアカメラマンのキャリアをスタートさせてもらえたら、きっと他誌からも声がかかるのではないかと。それで、何度もしつこく週プレの編集部に通い詰めては、そこにいる編集さんに写真をお見せしていたんですよね。
――行動の結果、すぐに週プレでグラビアを撮る夢が叶ったと。中山さんの作戦通りというか、素晴らしい有言実行力ですよね。
中山 「取材ページでも何でもいいから、まずは絶対に週プレで!」と思って営業しまくっていたので、早いうちからグラビアをやらせてもらえて、ありがたい限りでしたよ。ただ、当時は週プレで撮っているカメラマンさんのなかでいちばん若手のポジション。生意気にも「先輩カメラマンを全員引きずり下ろしてやりますよ」と、偉そうに宣言していましたね。今となってはお恥ずかしい話です(笑)。
中山雅文 編・第三話は8/19(金)公開予定! 杉本有美、馬場ふみか、前田敦子――。思い出深い撮影と、広い人脈へのこだわりを語る。
中山雅文プロフィール
なかやま・まさふみ ●カメラマン。1975年生まれ、東京都出身。
趣味=サーフィン
カメラマン・久保田昭人氏に師事し、2003年に独立。
主な作品は、本仮屋ユイカ『私。』、小芝風花『F』、伊原六花『R22』、森日菜美『もりだくさん』、ぱんちゃん璃奈『虹色ぱんちゃん』、上西恵『そのまんま。』、HARUKA『はるか』、大島優子『優子のありえない日常』、前田敦子『ATSUKO』、島崎遥香『ぱるる、困る』、杉本有美『うち』、吉木りさ『Heaven』『RISA~Te amo~』『OKOLE』、脊山麻理子『SEYAMA』、他多数。