『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』中山雅文 編 第三話「こだわりを知る」 カメラマン界きっての人脈家。

あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。


第12回目のゲストは、前田敦子の写真集『ATSUKO』(前代未聞!3冊連続リリース作の完結編)や新人時代の馬場ふみか(デジタル写真集『1stグラビアセンセーション!』など)を撮影した中山雅文氏が登場。幅広い人脈を持つ生き方や、多くの編集者から愛され続ける理由を探る。


中山雅文 作品のデジタル写真集一覧はコチラから!



――独立後、早いうちから週プレでグラビアの撮り下ろしを担当されていた中山さん。これまで撮影されてきたなかで、特に印象深いモデルさんは?


中山 やっぱり杉本有美ちゃんかな。独立して5年目の2008年に、有美ちゃんのファースト写真集『うち』を撮影させてもらったんですけど、これは、僕にとって、集英社から出す初めての写真集だったんですよね。


杉本有美ファースト写真集『うち』(2008年)表紙より


――ニュージーランドを舞台に、当時19歳だった杉本さんの飾らない表情を収めた一冊ですね。バックパッカー的なことをしたり、船から海に飛び込んだり。開放的に旅を楽しんでいる姿がとても印象的でした。


中山 中学生の頃からモデル活動をしている有美ちゃんですが、グラビアのお仕事自体は、まだ始めたばかりの頃で。写真集を出すとなったとき、ベテランのカメラマンさんにお願いする案が出ていたところ、僕と歳の近い担当編集の方が「中山にお願いしたい」と強く推薦してくださったそうなんですよね。後から、その担当さんに聞くと、どうやら本誌での撮り下ろしの際に撮ったポラ(本番の撮影前にテストを兼ねて撮るポラロイドのこと。主に現場で上がりの確認ができないフィルム時代に撮られていた)の良さが決め手だったとか。チャンスをいただけて、うれしかったですよ。そうやって、同世代のスタッフで和気あいあいと撮影できたからこそ、有美ちゃんの楽しそうな表情がたくさん撮れたのかもしれませんね。


――なるほど。その話を聞いたうえで写真集を見させていただくと、より現場の明るい雰囲気が伝わってきますよ。


中山 印象深い女の子というと、馬場ふみかちゃんもそうですね。実は僕、デビュー前の馬場ちゃんを何度か撮らせてもらっていたんですよ。というのも、新潟で馬場ちゃんをスカウトした芸能事務所のマネージャーさんが、たまたま僕の学生時代の知り合いで。


――えっ、スゴい偶然ですね!


中山 目力があって、スタイルも良くて、とにかくピュアで。一発撮らせてもらった時点で、「絶対ブレイクするだろうな」と確信しましたよ。そんな彼女に僕が協力してあげられるとすれば、グラビア担当の編集さんを紹介するくらいかなと。その流れで、週プレ(デジタル写真集『1stグラビアセンセーション!』に収録)やヤンジャンでの初撮り下ろしを担当させてもらったんですよね。


馬場ふみか『1stグラビアセンセーション!』より


――デジタル写真集のタイトル通り、まさにデビュー直後からセンセーショナルな存在だった印象です。その後はグラビアアイドルの枠を超え、モデル、女優と活動の幅を広げられていますし。


中山 正直、反響のスゴさは想像以上でしたよ。こうして出たての頃に撮った子が人気者になると自分もうれしくなりますね。まぁ、その子が勢い付いてきたタイミングで、違うカメラマンさんが良い写真を撮っているのを見ると、「負けたな」って悔しくなりますけど(笑)。そうだ。この流れで印象的だった撮影を思い返すなら、前田敦子ちゃんの写真集『ATSUKO』も楽しかったなぁ。


前田敦子写真集『ATSUKO』(2010年)表紙より


――ハワイ編『あっちゃん』(2010年2月発売)、東京編『前田敦子』(同年4月発売)に次ぎ、ニューヨークで撮影された“3冊連続写真集企画”の完結作ですよね(同年6月発売)。前代未聞ペースでのリリースに加え、前田さんは、当時人気絶頂だったAKB48のNo. 1エース。大変な撮影だったんじゃないですか?


中山 あっちゃんと初めてお会いしたのは、ニューヨークでの撮影当日。しかも、事前の衣装合わせもままならなかったので、その場でドレスなどを買い足しながら、何とか撮影を乗り切ったんですよね。終始、大慌てでしたよ。でも僕は、これくらい行き当たりばったりな方がワクワクします。誤解を恐れずに言うと、不安な状況が好きなんですよね。慣れない土地、限られた時間のなかで、いかに撮っていくか。撮ってみるまで何が起こるか分からないところが、グラビアの醍醐味ですからね。


――そうは言っても、なるべく不安は少ない方が良くないですか?


中山 例えば、馴染みのあるスタジオでは、ある程度、どこでどういう絵が撮れるか予想がつきます。スゴく楽ですけど、僕は正直、一度行ったことのある場所での撮影は避けたいとすら思うんですよね。お仕事なので、なかなかそうはいかないですが(笑)、毎回新しいロケーションで試行錯誤するのが理想ですよ。僕から提案させていただく場合は、なるべく今まで行ったことのないロケーションを、何なら、スタジオ検索サイトには載っていない場所にこだわりますね。お金持ちの知り合いが所有している別荘をお借りしたり、知り合いが経営している民宿を特別にスタジオとして貸してもらったり。僕なりのアナログなネットワークを駆使して、ほかと絶対に被らないロケーションを探すようにしていますよ。


――ほかと被らないロケーション選びは、グラビア編集者の多くが意識しているはず。それでも穴場を見つけるのが難しいというか……。皆が持つひとつの課題ですよ。


中山 少し話は逸れますが、僕が人生でいちばん大事にしているのは、人との繋がりなんですね。特に独立して間もない頃は、毎日新しい出会いを求めていました。人と出会えそうな場所には積極的に通って、飲みに誘われたら必ず参加して。それこそ編集者の方には、自ら声をかけて飲みに連れて行ってもらっていましたよ。その甲斐あって、今では、誰よりも人脈が広い自負があります。“僕なりのアナログなネットワーク”とは、僕が積み重ねてきた“人との繋がり”のこと。今度、海の近くにある宿で撮影をするんですが、そこは普段、スタジオとしての貸し出しはしていないそうなんです。奇跡的にお借りできたのは、この人脈のおかげ。本当、人との繋がりは侮れませんよ。


――人脈ですか。確かに、それってかけがえのない財産ですよね。


中山 アシスタント歴10ヶ月で独立した僕は、順当にグラビアカメラマンのアシスタントを経た同世代のカメラマンに比べて、業界人との繋がりが極端に少なかった。人と違うことをしなきゃ彼らには敵わない。そう思っていたからこそ、業界問わず、ひたすら人脈を広げていたんです。もともと人と接するのが好きなタイプだし、海外暮らしの経験もあったから(一話参照)、知り合いが増えていくのは楽しかったですよ。実際、どの界隈でも第一線で活躍されている方の話は、勉強になることばかりでしたしね。コロナ禍になり、出会いの機会は少し減りましたが、これからも人との繋がりには貪欲でありたいですよ。


――若い頃はまだしも、今も新しい出会いを求めに行かれることがあるんですか!?


中山 もちろんです。ここ最近は、20代後半から30代くらいの若者と出会う機会が多いですかね。20代の若者が集う会にひとり40代の僕が紛れ込んでいる、なんてこともありましたよ(笑)。年上の方、同世代の方と接する時間も貴重だけど、時代の最先端を走る若い感性に触れるのは大事ですよね。何てったって、僕がお仕事で撮らせてもらうのは、年齢の若い女の子がほとんどですから。


中山雅文 編・最終話は8/26(金)公開予定! 「グラビアが好きだからこそ、新しい見せ方を考えたい」。チャレンジ精神旺盛な展望を語る。


中山雅文 作品のデジタル写真集一覧はコチラから!




中山雅文プロフィール

なかやま・まさふみ ●カメラマン。1975年生まれ、東京都出身。

趣味=サーフィン

カメラマン・久保田昭人氏に師事し、2003年に独立。

主な作品は、本仮屋ユイカ『私。』、小芝風花『F』、伊原六花『R22』、森日菜美『もりだくさん』、ぱんちゃん璃奈『虹色ぱんちゃん』、上西恵『そのまんま。』、HARUKA『はるか』、大島優子『優子のありえない日常』、前田敦子『ATSUKO』、島崎遥香『ぱるる、困る』、杉本有美『うち』、吉木りさ『Heaven』『RISA~Te amo~』『OKOLE』、脊山麻理子『SEYAMA』、他多数。

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