『初グラビア物語~My First Gravure Story~』第52回前編 伝説の美少女・紗綾が語る初グラビアの記憶「水着がイヤで笑わずにいたら、ふてくされた顔がいいと言われて(笑)」

『週刊プレイボーイ』に登場するタレント、女優、アイドルなど、各分野で活躍する女性たち。彼女たちの記念すべき「初グラビア」にフォーカスし、撮影にまつわるエピソードや当時の想いを綴る本シリーズ。今回は伝説の美少女・紗綾さんの前編。

 

紗綾さんは、2005年、11歳でダンス&ヴォーカルユニット「Sweet Kiss」のメンバーとして活動を開始。あわせてファーストDVD『さあや11歳』で、グラビア活動をスタートさせると“奇跡の美少女”と大反響。同年に発売されたファースト写真集『紗綾11歳』とともに大ヒットを記録した。

 

『週刊プレイボーイ』には2005年25号(6月7日発売)で「ベールを脱いだ、伝説の少女」というタイトルで撮り下ろし&インタビューで初登場。同年46号(11月1日発売)で初撮り下ろしをするや、たちまち大きな話題を呼び、翌2006年11号(2月28日発売)では初表紙に抜擢。5月11日には写真集『つぼみ』を発売し、そちらもベストセラーとなった。


以降、雑誌グラビアで活躍する一方、テレビ、映画で女優として活動。2022年5月21

日には結婚を報告し、東京、広島、北九州の3箇所を拠点に精力的に活動。さらなる活躍が期待されています。

 

今回はそんな紗綾さんに芸能界に入った経緯から、初グラビアに関するエピソードなどを聞きました。


 

『週刊プレイボーイ』2005年25号(撮影/山形健司)より


ーー紗綾さんは今年、デビュー18周年。……にも関わらずまだ20代とは驚きです。


紗綾 芸歴と年齢のことは昔から何度も言われますね。11歳でデビューしていますから(笑)。


ーー今日はグラビアに関するお話を伺いたいと思います。まずは芸能界入りまでの経緯を教えてください。


紗綾 幼稚園の頃かな。自宅にあった子供服のカタログを見て、「自分も出たい」と母に言っていました。それが芸能界に興味を持ったきっかけです。モデルの女のコがキラキラ輝いて見えたんです。


その後、4歳の時、ダンススクールに通うように。当時、90年代後半は、安室(奈美恵)ちゃんが大人気の頃。夢中になってテレビを見たり、ライブに通っているうち「ダンサーになりたい」「安室ちゃんみたいになりたい」と思うようになりました。


そして、地元のダンス&ヴォーカル・オーディションを受け、芸能事務所へ所属することになり、女のコ3人組のユニット(Sweet Kiss)を組んで活動をはじめました。それが2004年、11歳の時です。


ーーそこから、どういう経緯でグラビアをやることに?


紗綾 そのユニットの初仕事がバリ島でのグラビア撮影だったんです。それはDVDになったんですけど、それがきっかけです。


 


ーー当時はジュニアアイドル全盛の時代。明るく健康的な彼女たちのグラビアが雑誌に掲載されたり、DVDや写真集としてリリースされたり、大いに盛り上がっていました。


紗綾 とはいえ、私たち自身は何をするか聞いていなかったんです。それこそバリをフランスの「パリ」と勘違いして行く前にはしゃいだり、撮影というからてっきりMVだと思っていたくらいで。


バリ島に前乗りして次の日、支度部屋へ行ったら、なぜか部屋にビキニがずらりと並んでいて(苦笑)。ビキニなんてちゃんと見たことなかったから、どう着ればいいかわからないし、それこそ肌を出すのも恥ずかしいし、正直、ものすごい衝撃でした。抵抗はあったけど、3人で撮影に臨みました。


ーーそれはびっくりでしたね。撮影の思い出はあります?


紗綾 チャイナドレスを生まれて初めて着たとか、それくらいですかね。あとビキニがイヤだったので、撮影中はずっと笑わずにいたんです。そうしたらそのふてくされた顔が大人っぽくていいと言われちゃって(苦笑)。それは覚えていますね。


ーー帰国後にまもなく、ファーストDVD『さあや11歳』(2005年2月27日発売)が発売。紗綾さんのデビュー作となるわけですけど、それがいきなりの大ヒット。5月にはファースト写真集『紗綾11歳』も発売され、そちらもベストセラーに。“奇跡の美少女”と呼ばれ、一躍大きな注目を集めました。


紗綾 そんな風になるとはまったく想像していませんでした。しかも地元・北九州に住んでいたから、実感もなかったし。


ただDVDの発売イベントを秋葉原でやったら、ものすごい数のお客さんが集まってくれたんです。それこそ会場に入りきれず、外にも溢れちゃうくらい。なにがなんだかわからないけど、ただただびっくりしました。


ーーイベントでは年上の男性ファンたちが押し寄せましたけど、それはどうご覧になっていたんですか?


紗綾 めちゃくちゃ違和感がありました(笑)。そもそもそんな大勢の男性に会ったことなんてないし。でもひとりひとりと握手したら、皆さん優しい方ばかりで、それはすごく感激しました。


 


ーーその後も“紗綾ブーム”は盛り上がるばかり。2005年5月に中国で反日運動が起こった時、2ちゃんねるで紗綾さんの画像とともに「暴動しないで」ってコメントを載せたら、その反日運動が収まったそうで、それもニュースになりましたよね。


紗綾 それ、自分は何もしていないんですよ〜(笑)。当時はネットも見ていなかったからよくわからなくて。雑誌にたくさん取り上げてもらいましたけど、「へー。そんなふうに注目してもらえるんだな」なんて思っていました。


ーーいや、そんな話題になる人なんてごく一部ですって(笑)。『週刊プレイボーイ』には2005年25号(6月7日発売)に初登場。「ベールを脱いだ、伝説の少女」というタイトルで撮り下ろし&インタビューされています。


 

『週刊プレイボーイ』2005年25号(撮影/山形健司)より


紗綾 懐かしいですね。これは当時、編集部の方が北九州までわざわざいらしてくれて、地元のスタジオで撮影しました。すごく楽しかったのを覚えています。


ーーカワイイ笑顔をたくさん見せてくれていますね。


紗綾 洋服だからです(笑)。ファーストDVDの後、何度か撮影があったんですけど水着を着るのはやっぱりイヤで。撮影の度、もともと私はダンスと歌をやりたかったのに、なぜ水着で撮影しているんだろうって気持ちでいたんです。この取材の時はワンピースやデニムなどを用意してもらったので嬉しかったんです。


ーーそれから4ヵ月後、2005年46号(11月1日発売)で初のグラビア撮り下ろしが掲載されます。


紗綾 これは与論島でロケしました。確か福岡から一人で飛行機に乗って、現地で週プレのスタッフさんたちと合流したのかな。週プレさんがどんな雑誌なのかは正直なところ、まだよく分かってなかった気がします。でもカメラマン、スタイリスト、ヘアメイクをしっかりつけて、丁寧に撮り下ろしてもらったのはこの時がはじめて。私の中での「初グラビア」はこれですね!


ーーこのグラビア、大好評につきアンコール掲載された49号(11月22日発売)とあわせ合計10ページ。カラフルなビキニから清楚な白いワンピースまでたっぷり掲載されています。この時も衣装では笑顔を見せるけど、水着姿での笑顔は少ないですね。


紗綾 あははは。すみません(苦笑)。


 

『週刊プレイボーイ』2005年49号(撮影/熊谷貫)より


ーー撮影で印象に残っていることなんてあります?


紗綾 この時は海に入ったり、ビーチでくつろいだり、撮影をあまり意識せず普通に遊んでいるところをそのまま撮影していただきましたね。あとTシャツ&デニム姿で地元の小学校の校庭でも撮らせてもらったことは覚えています。そこで同学年の女のコと一緒に遊んだりもしたんですよね。等身大の姿を表現しようという意図だと思うんですけど、グラビアで水着とまったく関係のない撮影したのは初めて。すごく胸に残りました。


あと、撮影の後、地元のマッサージ屋さんへ出掛けたんですけど、血行がよくなりすぎたせいか、翌日、微熱が出ちゃったんです。で、午前中は完全オフにして、午後からゆっくり撮影させていただきました。とても気遣っていただいて、それも嬉しかったです。


ーーそして約4ヵ月後となる2006年11号(2月28日発売)では異例のハイペースで初の表紙抜擢。この時12歳で、週プレの表紙を飾ったタレントとしては史上最年少です!


紗綾 ありがとうございます。当時、表紙を飾ることのすごさをちゃんと理解していなかったですけど、嬉しかったです。これはパラオロケですね。


 

『週刊プレイボーイ』2006年11号(撮影/熊谷貫)より


ーー美しい自然に囲まれる中、色とりどりの水着を着ていますけど、表情が柔らかくなったというか。笑顔の水着カットも増えていませんか?


紗綾 基本的に水着がイヤという気持ちは変わらなかったんですけど、スタッフさんの皆さんのおかげでロケがだんだん楽しくなってきて、表情も緩むようになった気がします。水着をイヤがる私をなだめ、気分を盛り上げ、また家族のような思いやりを持って接していただきました。いま思うと本当に感謝の言葉しかありません。


紗綾(Saaya)

1993年11月15日生まれ 福岡県出身

血液型=A型 身長151㎝

公式X(旧Twitter)【@SaayaOfficial】

公式Instagram【@saaya_official_】

関連サービス