『初グラビア物語~My First Gravure Story~』 第16回前編 天木じゅん

『週刊プレイボーイ』の誌面を飾り、現在、さまざまな分野で活躍する女性たち。彼女たちの記念すべき「初グラビア」にフォーカスし、撮影にまつわるエピソードや当時の想いを綴る連載シリーズ。


今回、登場するのはタレント・女優の天木じゅんさん。彼女は2014年7月に『週刊ヤングジャンプ』のモバイルサイト「ケータイYOUNG JUMP」における読者投票コンテスト「ぷるるんサバイバル」で初水着を披露。そのロリータ顔とアンバランスすぎるバストで話題に。『週刊プレイボーイ』では2014年31号(8月4日号)のスクール水着特集に登場し、数々の大胆なポーズを見せるやたちまち大反響を呼び、一躍、人気者となりました。


小学校4年より女優を目指し、高校2年生の時、単身上京。「最強の地下アイドル」と呼ばれるアイドルグループに所属し、壮絶な日々を送りながら必死に夢を目指し、あまたいる「ロリ巨乳グラドル」の頂点を極めた彼女。今回はデビューのきっかけから、初グラビアに至るまでの経緯を聞きました!


週刊プレイボーイ2014年31号(撮影/古谷完)より


――天木さんは、いつ頃から芸能界を目指すようになったんですか?


天木 小学4年生です。女優さんになりたいと思ってました。テレビドラマを見ているうち、将来は自分もここにいるんだって勝手に思い込んでずっと憧れていました。あとダンスをやってたんですけど、そこで人前に立つことの喜びを覚えて。それまでも目立ちたがり屋だったんですけど、もっと注目を集めたいと思うようになりました。それも女優への夢を後押ししましたね。


――もともと目立つのが好きだったんですか?


天木 大好きでした! 中学の時なんて騒ぎまくりです。ちょっとヤンチャな友達といた時期もあったんですけど、事件を起こす度に一番目立つからって私が怒られていました(笑)。


――以前、週プレで明かしてましたけど、ギャルだったんですよね。


天木 あははは。当時は好き勝手やってましたね(笑)。私服で登校したり、嫌いな先生の授業をボイコットしたり。邪魔をするからって私たちだけ、別の会議室で授業を受けさせられて。あ、でも高校時代はちゃんとしてましたよ!


――上京したのは?


天木 高校2年生の時です。地元で演劇科のある高校に通っていたんですけど、テレビや雑誌で活躍している子たちが同世代や年下の子が多いことに気づき、「やばい! いますぐ東京へ行かないと手遅れになる!」「高校生ってブランドがなくなっちゃう!」って。すぐネットで東京の住居を検索して、引越しを勝手に準備しました。


――親御さんはびっくりしたでしょうね(笑)。


天木 でも私が思い込んだら、もう何を言っても聞かないことを知ってたので(苦笑)。その後はネットで「アイドル事務所」「オーディション」と検索して、一番上でヒットした事務所に応募しました。また高校も通信制に転校しようって。



――ものすごい行動力です。でもなぜアイドルになろうと?


天木 当時、アイドルブームが全盛で憧れていたのもありますけど、何より一緒に戦ってくれるファンが欲しかったんです。私は恵まれたものを何も持ってないので、なんとかファンに力を貸して欲しくて。で、ファンを味方につけるのならアイドルになるのが、一番の近道だと思ったんです。


――将来の目標に向かって、ただ「なりたい」だけでなく、ファンの重要性を理解していたとは! すごい! その天木さんがメンバー入りしたグループは「最強の地下アイドル」と言われるくらいとにかく型破りでしたよね。仮面を被って武器を持って登場し、ライブではヘッドバンギングする……じつに過激というか。


天木 それくらいなのが目立ちたがり屋な私には合ってました。それに動きが激しいことで、特技のダンスも十分に活かせたし。でも入れたはいいけど大変でしたね。練習はもちろん、礼儀からすべて。例えば劇場に行ったら、メンバーで集合して、バーカウンターさん、照明さん、音響さんの元へ行って、挨拶するところから一日が始まるんです。しかも私は他の子よりも厳しくされて。


――それはどんな?


天木 みんなすぐにユニットの正規メンバーになるんですけど、私だけもっと痩せないとダメだとか、細かく試練を課されるんです。悔しい思いもしたけど、逆に負けられない!って力になりました。甘やかされなかったのは、今思えばありがたかったです。


――持ち前の反骨心が発揮されたんですね。天木さんは2012年末にデビューして、翌年約8月にユニットの正規メンバーへ昇格。またメジャーデビューに向けてのユニットにも選抜されるなど人気者となりました。当時はどんな毎日だったんですか?


天木 平日は毎日、夕方5時から公演。土日はそれに朝と昼の部が加わり、さらに他のアイドルが出ているライブに乱入して、多い時で1日7公演やってました。しかもその合間には練習とリハーサルがあって……。365日間、ずっと劇場にいましたよ。


――じゃあ家に帰っても、疲れてずっと寝ている、みたいな。


天木 そうですね。でも疲れすぎると逆に眠れなくて。ひどい時は3日くらい起きてました。あまりにハードだから、一体何度「今日は絶対にトバしてやるぞ!」(無断欠勤すること)と思ったことか。でも歌って、踊ることは大好きだし、ファンにも会えるので、劇場には欠かさず行っていました。


――ファンはどんな方が多かったんですか?


天木 私は、いわゆる「アイドルオタク」ってタイプの方よりは女のコが多くて。ありがたいことに熱心に通い詰めてくれる方もいらっしゃいましたね。


――天木さんのいたアイドルグループはメンバー間で、ファンの人気ランキングを激しく争うことでも有名でしたね。


天木 お客さんがチケットを買う時、コインをもらって、お目当てのメンバーの箱に入れるんです。そうすると誰が何人を動員したかがわかる。毎日、人気ランキングを発表されて、グループの中で自分の置かれている位置がどのあたりなのか見せられるんです。当時のメンバーは全員、地下アイドルそのままの雑草魂を持っていて、「隙あらば!」って人ばかり。一瞬でも油断できませんでしたね。


――グループのきまりで、メンバー同士はプライベートの連絡先も交換できなかったとか。


天木 お互いライバルですから。劇場を出て一緒に遊ぶことはないし、帰り道もバラバラ。でも陰湿な足の引っ張り合いは一切なく、公演はしっかりいいものを届けようって団結してました。そんな環境だったから、私自身も自分に厳しくなれましたね。当時所属していたグループには、スタッフさんや仲間たち含め、本当に感謝しかないですよ。



――その後、2014年7月に、天木さんは「ケータイYOUNG JUMP」の「ぷるるんサバイバル」に参加。これは新進アイドルたちが水着グラビアを披露し、読者投票で勝敗を決めるというコンテストでした。ここで初めて水着姿を披露したんですよね。


天木 はい。それまで水着をやるつもりは一切なかったんです。でもGカップあって、いつも「胸が大きいよね」ってみんなに言われていたんです。それにダイエットしたのでウエストも結構、しぼれていて。そこで社長から「水着やる?」って言われ、思わず「ハイ!」って答えちゃったんです。


――でもじつは相当な決心だったのでは? 天木さんは大きな胸がコンプレックスだったって聞いたけど。


天木 そうなんですよ。中2くらいからずっとイヤでした。それもあって水着をやるなんてつもりはなくて。でもその頃はどんな仕事でもいただけることが幸せなんだとわかっていたので。しかもアイドル以外の仕事ですからね。不安もあったけど、楽しみでした。


――撮影現場は緊張しました?


天木 めちゃくちゃしました。スタジオで1ポーズだけ撮影したんですけど、どうしていいかさっぱりわからなくて。それに水着はやたら小さいし、すごく恥ずかしかったです。でもヘアメイクをやっていただけたのが嬉しくて、ずっとルンルンでした(笑)。撮影が終わった後、そのまま劇場へ行ったらメンバーに「いつもと違うヘアメイクだね」って言われて。それがすごく誇らしかったのを覚えています。



*第16回後編は、2月16日(水)更新予定です


天木じゅん

1995年10月16日生まれ 兵庫県出身

身長149㎝ B95 W59 H93 血液型=A型

趣味 サウナ、ゴルフ、麻雀、ポーカー

特技 ダンス、料理、SNSのフォロワー増やし

公式ブログ【http://ameblo.jp/jun-amaki/

公式Twitter【@jun_amaki】公式Instagram【@jun.amaki

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