2022年1月16日 取材・文・インタビュー写真/大村克巳
“週プレ”の華はいつの時代も、その時代に生きる日本中のオトコたちの心と体をつかんだ、他の雑誌よりページ数が断然多い、そのとき日本で一番のオンナたちが彩る「グラビア」ページだった!
そんな各時代の誌面に登場してくれた“伝説のオンナ”たちに会いに行き、グラビアの魅力を改めて紐解くインタビュー連載企画。
今回6回目には「元・生徒会長」という真面目なキャラクターからは想像できない豊かなバスト&クビレのギャップで人気を博し、演技派女優としても活躍し続けてきた佐藤寛子さんが登場。出産も経験したゼロ年代のレジェンドグラドルは、撮影で多忙な当時何を思い、そして36歳のいま何を考えているのか?
取材・文・インタビュー写真/大村克巳
* * *
――ここで少し話の角度を変えてお聞きしたいのですが、佐藤さんは青春時代を芸能活動に捧げて来たわけですが、ご自分の青春について振り返って、どんなことを感じます?
佐藤 学園ものの恋愛ドラマとかあるじゃないですか。あれがいっさい響かないんです(笑)。制服デートとか。そういった役を演じた経験もないので、思い出す要素が1ミリもないんです。かすりもしない。青春ってどんな感じですか?
――その時期に自分自身を信頼していたとか、自分以外で信頼できる人を求めたり、「親友」って存在を青春時代に多くの人が求めるでしょう。
佐藤 親友もいなかったですし。
――大人になったら言葉にするのもためらわれることを言って大丈夫な時期が青春かと。
佐藤 “一番の親友”とか?
――そう、「自分がわからない」とか「私ってなんだろう」とか言ってていいんです。
佐藤 許される?
週刊プレイボーイ2005年46号より(撮影/今村敏彦)
――全然許されます。その時代に何を信じてたか? 誰を信じてたか振り返るのも良いじゃないですか?
佐藤 私の場合は、それが「お父さん」でした。
――お父さん?
佐藤 父です。父が一番信用できた。自分のことを話せるのは父でした。
――それはうれしいですね。娘がいる私としては。
佐藤 私は三姉妹の一番上で、お父さんが大好きだったんです。でも19歳の時に突然亡くなってしまって。ある日突然だったんで、そこで私の何かが変わった。本当に相談できる人がいなくなってしまった。写真表現もどんどん変わっていくし、そこで初めて自分の外に出て行った感じはあります。
――グラビアに佐藤さんの青春が詰まっている。学園モノの恋愛は刺さらないけど、お父さんを亡くした喪失感があると。
佐藤 喪失感は、めちゃめちゃありました。
週刊プレイボーイ2006年48号より(撮影/今村敏彦)
――表現者としては物凄い原動力になりますね。
佐藤 そうですね。仕事で表現してなかったら、受け止められなかった。表現することで救われたと思います。
――それだけ愛していたんですね。
佐藤 とんでもなく引きずって、20代はほぼその状態でしたね。
――それは本当に切ない話ですね……いずれはもちろん誰にも訪れることですけど。表現するってことは喜びも悲しみも全部連動して動くんですね。
佐藤 写真って全部が出る。真実を写すんじゃないかと思うくらいに。
週刊プレイボーイ2007年15号より(撮影/塔下智士)
――今のお話を聞いて、佐藤さんのグラビアに底知れぬ迫力を感じた理由がわかった気がします。
佐藤 お芝居とかでもそうなんですけど、いきなりスイッチが入る。撮影の時も、モードが変わったら乳首が見えたらどうしよう、なんて考えられなくなる。基本的に何を見られても恥ずかしくなくなる。
――自然体で攻撃的、時に母性まで感じる表情が佐藤さんのグラビアの印象ですね。佐藤さんの中の母性ってどんな形なんだろう?
佐藤 私は子供を産むまで、母性って言葉にマリア様みたいなイメージを抱いていたんです。
でも、妊娠中は野生味が増してくるんです。匂いに敏感になるし、お腹が出てくるとそこに毛が生えてくる。命を守ろうと体が必死に闘っている。生まれた瞬間「ようこそ世界へ」って。驚きしかなかった。想像と違った。私は産む時、旦那と呼ぶ人がいない未婚の母、シングルマザーの状態でしたから。
――その状況は佐藤さんが受け入れた形?
佐藤 受け入れたというより、そうしたかった。
――強いね。
★第4回は、2022年1月23日配信予定です
●佐藤寛子(さとう・ひろこ)
1985年2月17日生まれ。神奈川県出身。
2002年に芸能界デビュー。
グラビアアイドルとして活躍の後、2010年公開の映画「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」で第32回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞し俳優としての評価を得る。
2015年に男児を出産し未婚の母となる。
2019年現事務所へ所属し現在もドラマ・映画とお芝居の分野での活躍を続けている。
●大村克巳(おおむら・かつみ)
1965年、静岡県生まれ。写真家。
1986年にJPS展金賞受賞し。99年ニューヨーク・ソーホーでギャラリーデビュー。
2002年日韓交流事業「済州島」を日本と韓国で発表し、
2009年から2017年より毎年「NEWS ZERO展」を開催する。
個展、グループ展の開催多数。
著書に写真集『伝言 福山雅治』(集英社)、
『はだしのゲン 創作の真実』(中央公論新社)など。
ヘア&メイク/福田純子