2022年2月11日 取材・文/とり
あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。
第6回目のゲストは、かつてまだ名もなき頃の優香(1997年、週プレ誌面で芸名募集)を撮り下ろした小塚毅之氏が登場。川村ゆきえ『ゆっきー・ざ・ばいぶる!』のほか、くりえみ『ネコ目線』、橋本萌花『社長令嬢のフェロモンキャンプ』など、個性的な作品を残してきた小塚氏に、その表現のルーツを聞いた。
――映画に近しい仕事を求め名古屋の写真スタジオでアルバイトをはじめてから、「写真の道で生きていこうと思うまでに、そう時間はかからなかった」と。自分のカメラも持っていなかったほど写真とは無縁の学生生活を送られていた小塚さんですが、何がきっかけでそう思うようになったんでしょうか。
小塚 その名古屋の写真スタジオは、家電量販店の通販用の写真を撮る、ブツ撮りがメインだったんですね。全くのカメラ未経験だった僕は、セット替えをしたり、商品のテレビを運んだりが主なお仕事だったんですけど、撮影の様子を見ていると、専門的な技術を持って仕事をしているカメラマンさんがとてもカッコよく映ったんです。僕もあの人たちのように手に職をつけたい。スタジオに入ってわりとすぐに、カメラマンという職業に憧れましたね。
それで、アルバイト中のちょっとした待ち時間に読んでいたカメラマン向けの業界誌『コマーシャル・フォト』(玄光社)で、東京の六本木にあった老舗のレンタルスタジオ・アートセンターがスタジオマンを募集していると知って。そこでなら、アルバイトじゃなく、ちゃんと仕事に就けそうだと、すぐに応募して採用してもらい、再び上京しました。ですから名古屋のスタジオにお世話になっていたのは、半年間だけとかなり短めだったんですよね。
――上京までされたということは、その時点でカメラマンになりたい気持ちも相当固まっていたんですね。とはいえ、当時はまだほとんどカメラに触れられていないはず。それでも、スタジオマンとして採ってもらえるものなんですか?
小塚 今に比べて雑誌の多い時代でしたし、スタジオマンも人手不足だったんでしょうね。さすがに、上京するタイミングで自分のカメラは買いましたよ。とはいっても、特に撮りたいものもなかったですし、「持ち歩くの重いなぁ」なんて思いながら、街に出かけて何となくスナップを撮っていましたね。そんな感じではありましたが、僕としてはアルバイトの経験がたくさんあったので、年下に怒鳴られても全然平気というか。どんな環境でもやっていける自信だけは持っていました(笑)。気合は十分でしたね。
――なるほど。アートセンターではどのようなことを?
小塚 希望を出せば、アートセンターから集英社スタジオに出向することができたんですよ。集英社スタジオやスタジオを取り仕切っておられた社員カメラマンの中村昇さんの存在は雑誌で見て知っていたので、漠然と何かに繋がったらいいなと。出向して集英社スタジオに通っていました。集英社スタジオは、友達も出来ましたし、学校みたいで楽しかったですよ。
僕より3ヶ月早く集英社スタジオに入ったクマさん(カメラマンの熊谷貫氏)にスタジオを全館案内してもらったのもいい思い出ですね(笑)。ふたりとも20代で歳も近かったですし、ほぼ同期みたいな関係性でした。出会ったのは30年近く前ですが、今もずっとお友達です。
――いいお話ですね。集英社スタジオでは中村さんからご指導を受けたそうですが、その頃には、グラビアを撮ってみたい気持ちもどこかにあったんですか?
小塚 そうですね。もともとグラビア見ることとか、女の子は好きだったものの、ちゃんと興味を持ったのは中村さんの影響が大きいです。たまに、中村さんが週プレのロケにスタジオマンを連れて行ってくれたんですよ。外の現場はスタジオにはない緊張感があって、すごく楽しくて。そうやって中村さんの現場や写真を見させていただくうちに、中村さんの写真に惹かれ、次第に自分もグラビアの仕事がしたいと思うようになりましたね。
――具体的に、中村さんの写真のどんなところに惹かれたんでしょう。
小塚 何て言えばいいですかね。中村さんが撮った写真と他のカメラマンさんが撮った写真だと、同じ女の子でもどこか違って見えたんですよ。表情の隙間を狙っていたり、マゼンタ色のフィルターをかけて世界観を演出されたりすることもあって、写し方がとにかく新鮮で。自由な印象を受けましたし、純粋にカッコよかったんですよね。
その頃は、完全に中村さんの写真を目指していて、中村さんが使用されていたメーカーのカメラやレンズを揃えては、現場で見させてもらった撮り方を模倣して、毎週休みの日に必ず何かを撮っていました。撮った写真を中村さんにお見せすると「ヘタだなぁ。まぁ、ヘタだと分かっただけよかったね」なんて言われるわけですけど(笑)。
その頃は、ちゃんと撮ろうって意識が強かったんだと思います。本質的なことはなかなかすぐに理解できませんでしたが、中村さんから「ヘタなんだから、もっとめちゃくちゃにやってみなさい」と言っていただいたのは、ずっと記憶に残っていましたね。
――そんなやり取りがあったんですね。
小塚 5年在籍した集英社スタジオを辞めて独立する際にも、「週プレの写真室に入れるけど、どう?」と中村さんが気にかけてくださいました。中村さんには、本当にお世話になりっぱなしでしたよ。
ちなみに、その週プレ写真室っていうのは、今はもうないのですが、社員の方がフリーのカメラマンをまとめている場所で。やっぱり週刊誌ですから、事件や自然災害、緊急記者会見などがあったら、急いで現場に駆けつけないといけないじゃないですか。それで、いつでも撮りに動けるよう、常にカメラマンが3~4人待機していたんですよね。
――では、小塚さんも最初は記者会見などを撮りに行かれていたんですか?
小塚 そうですね。初めのうちは複写やブツ撮りの仕事が多く、のちに作家さん、映画監督、新人女優さんなどの取材用写真や記者会見を撮りに行っていました。基本的に、写真室に在籍しているカメラマンにグラビアの仕事が回ってくることはないんですが、強いていえば、当時あった一色グラビア(白黒で刷られたグラビアページ)用の写真なんかは撮らせてもらっていましたね。
――そこからどのようにして、今のようなグラビアのお仕事を?
小塚 写真室には2年間在籍していて、その間、平日は仕事がなくてもずっと編集部にいたんですよ。そしたら、自然と編集部のグラビア担当の方とも仲良くなって、よく飲みに行くようになったんですね。そんな繋がりから、ちょうど僕が写真室を辞める頃、とある編集の方が「小塚くん、写真室辞めるんだったらグラビア撮らせてあげるよ」と言ってくださって。そうして撮ったのが、デビューしたばかりでまだ名前がなかった頃の優香ちゃんだったんですよね。
――優香さんは、1997年に週プレのグラビアに登場し芸能界デビューされました。芸名は、デビューのタイミングで週プレ読者から募集して「優香」となったんですよね。制服姿で街中に立っている優香さんの写真に「名付け親になってやろうぜ!」と大きく書かれた、当時の誌面ページが印象的でした。
小塚 その制服姿のカットは、優香ちゃんがスカウトされた池袋で撮影したんですよね。それともう一つ、河口湖のスタジオで撮ったグラビアもあるんですけど、タレントさんのグラビアをガッツリと撮らせていただくのが初めてだったからか、このとき異様に緊張していて。
ロケバスに乗るのも初めてでしたし、土日のどちらかだったので、中央道の渋滞もすごかったんですよね。緊張と渋滞のなか、トイレに行きたいのを必死に我慢していた記憶があります(笑)。優香ちゃんはどうだったんでしょうね? 緊張していたかもしれませんが、ずっと明るく笑ってくれていましたよ。
――いろんな意味で思い出に残る初グラビア仕事だったんですね(笑)。
小塚 そこからは、優香さんのグラビアを持っていろんな出版社に営業に行きました。仕事としては、週プレでグラビアや取材写真も撮りつつ、女子高生ブームの時代だったので、渋谷にいる女子高生のスナップなんかも撮っていましたね。
大きな転機となったのは、とある雑誌で撮らせていただいた佐藤江梨子さんのグラビア。この撮影をきっかけに、佐藤さんが所属されていた事務所・イエローキャブのマネージャーさんが、フリーで写真集の制作をされている方に僕を紹介してくださったんですよ。
そんなご縁があって、イエローキャブ所属の5人(佐藤さんのほか、小池栄子さん、川村亜紀さん、坂井優美さん、松岡ゆきさん)の写真集『Dynamite 5』(ケイエスエス)を撮らせていただくことになったんです。これが、僕が初めて撮った写真集ですね。
――す、すごい! いわゆるイエローキャブ全盛時代ですね。それにしても、初の写真集にして一度に5人も撮影するのは、なかなか大変だったのでは?
小塚 そもそも沖縄で撮影をしたのですが、僕はそれまで沖縄に行ったことがなかったので、どこで撮影すればいいか全く分からなかったんですよね。それに、カメラも35mmしか持っていなかったので、慌てて、ふたまわりほど大きい645のカメラを中古で2台買って。
初めてのことだらけで現場は忙しかったものの、5人ともタイプの違う方々でしたし、撮影自体はとても楽しかったですよ。一対一で撮ったり、二人ずつペアで撮ったり。組み合わせを変えるだけで表情も変わりますし、この人はこういう感じが似合うかな?と個性を探りながら、暗くなるまで夢中になってカメラを構えていましたね。全然、大変なんて思わなかったです。
――そうだったんですね。イエローキャブの人気もかなり高かったでしょうし、やはりこの写真集の反響は大きかったんですか?
小塚 この『Dynamite 5』のパブ(告知用に、他社の雑誌に写真集のカットを掲載してもらうこと)がいろんな出版社に回ったことで、より多くの方に写真を見てもらえて、グラビアのお仕事もたくさんいただけるようになりました。ヤンジャンでは川村ゆきえさんを、また西條(彰仁)さんと同じ時期に『ヤングサンデー』(現在は休刊)でもグラビアを撮っていましたね。
イエローキャブでいうと、毎年恒例のお正月ハワイロケが思い出深いです。年末から10日間ほど、イエローキャブのタレントさんがハワイに集まって、数人のカメラマンが集中的にいろんな雑誌のグラビアや写真集、 DVDのスチールなどを撮っていたんですよ。僕も3回ほど行かせてもらいましたが、大晦日は、みんなでビーチにカウントダウン花火を見に行って、撮影になると、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ずっと走り回って。お祭りみたいで楽しかったですね(笑)。
小塚毅之編・第三話は2/18(金)公開予定! 実生活ではできないことをグラビアで叶える!
小塚毅之プロフィール
こづか・たかゆき ●写真家。1967年生まれ、愛知県出身。
趣味=映画鑑賞、散歩
集英社スタジオ勤務時に写真家・中村昇氏から指導を受け、卒業後、週刊プレイボーイ写真室に在籍。その後、1997年に独立。
主な作品は、川村亜紀・小池栄子・坂井優美・佐藤江梨子・松岡ゆき『Dynamite 5』、佐藤江梨子『cinnamon』、小倉優子『りんごともも』、熊田曜子『TЯAP! 』、川村ゆきえ『ゆっきー・ざ・ばいぶる!』、森下悠里『秘めごと。』など。3月25日、林田百加 1st写真集『ハイレグの国』(竹書房)が発売予定。また、オムニバスおっぱい写真集『コレクション インフィニティ』も発売中。被写体に接近した生々しい作風で、唯一無二の世界観を見せる。