2022年11月11日 取材・文/とり
あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく本コラム。“カメラマン側から見た視点”が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。
第15回目のゲストは、大原優乃の初グラビア(デジタル写真集『実は私、○○だったんです』)や、現在グラビア界で話題沸騰中のYouTuberいけちゃんの最新グラビア(デジタル写真集『AS FREE AS A BIRD』)などを手掛けた藤本和典氏が登場。取材はまさかのキャンプ場で!? 一風変わった彼の個性と作品を探る。
――前回お聞きしたお話では、大学在学時、当時お付き合いされていた彼女の影響もあり、写真にハマったと。その後は、どのような進路に?
藤本 スタジオマンになるため、代官山スタジオ系列のスタジオロックに入社しました。かの有名な六本木スタジオ(六スタ)も受かったんですけど、当時、スタジオマンは寮に入らないといけなかったらしく。予備校時代に寮生活は経験していたし、寮だと自由に彼女を連れ込めないし(笑)と思って、六スタはお断りしたんですよね。
――そうだったんですね。スタジオロックは、どういったスタジオだったんでしょう?
藤本 ブツ撮りメインの小さなスタジオでした。マネージャーさんも優しいし、いわゆるアットホームな雰囲気で、とても過ごしやすかったです。ただ、スタジオ勤務は、入った当初から2年で辞めると決めていました。身近な人たちから話を聞いていると、卒業してカメラマンのアシスタントになろうが、ならまいが、あまり長く続けることでもないと思ったので。
――長く在籍すれば、スタジオの仕事には慣れるかもしれませんが、逆に言えば、ずっとスタジオマンでいてしまうというか。プロのカメラマンからは遠のく可能性すらありますからね。現場はブツ撮りが多かったんですか?
藤本 ポートレートに惹かれて写真にハマったところもあったので、スタジオのマネージャーさんには、人物希望であることを伝えていたんです。もちろん、ブツ撮りの現場もあったのですが、基本的に入らせていただく現場は、ファッション系かグラビア系でしたね。意識的にグラビアを見るようになったのも、その頃だったと思います。
――前回お聞きしたのは、『ヤングジャンプ』を買ってもグラビアそっちのけで漫画を読まれていたという話でしたけど。最初にグッときたグラビアとか、覚えていらっしゃいますか?
藤本 僕、女優の井川遥さんが大好きで(笑)。当時見た、藤代冥砂さんが撮影された『月刊 井川遥』は名作だと思いましたね。かわいくて、カッコよくて、エロい……。もうね、最高でしたよ。井川さん以外にも、当時購入した『月刊』シリーズは、家の本棚にほぼ全部残してあります。僕がグラビアにハマったのは、間違いなく『月刊』シリーズがきっかけでしたね。
――なるほど。その時点では、既にグラビアカメラマンになりたいと?
藤本 まだハッキリとしていなかったですね。実際、ファッション系のカメラマンさんに連絡をして、アシスタントにつくための面接も受けていましたし。風向きが一気にグラビアの方へ向いたのは、ある日、後(のち)の兄弟子にあたるカメラマンの矢西誠二さんが仕事でスタジオロックにいらした時でした。普通にスタジオマンとして矢西さんのお手伝いをしていたら、僕のことを気に入ってくださったようで、「渡辺達生って知ってる?」と声をかけてくださったんです。グラビア誌でたくさん名前をお見かけしていたので、もちろん知っていました。そしたら「もうすぐアシスタントのひとりが卒業するから、良かったら見学しに来ない?」と言ってくださったんですよね。
――渡辺さんの事務所では、アシスタントさんが次のアシスタントさんを探して連れて来るシステムになっているんだとか(藤本氏の兄弟子にあたるLUCKMAN/樂滿直城氏のインタビューにて)。そのひょんな出会いが渡辺さんに弟子入りするきっかけだったんですね。
藤本 渡辺さんのもとへブックを持って顔合わせに行かせてもらったら、「スタジオ勤務中も暇があれば現場に来いよ」と言ってくださって。宣言通り2年でスタジオを辞めた後、そのまま弟子入りすることになりました。スタジオマンの経験があったとはいえ、本格的なグラビアの現場では、ほとんど何も役に立たなかったですけどね。渡辺さんの撮るスピードも、それについていく(当時アシスタントを務めていた)樂滿さんの対応力も、自分には真似できないと思いました。でも、ギリギリのところで矢西さんに出会わなければ、ファッション系のカメラマンさんに弟子入りしていた可能性もあるわけです。今とは全く違うキャリアを歩んでいたかもしれない。本当、人生って巡り合わせですよね(笑)。改めて振り返ると、スゴく不思議な感じがします。
――確かに、何が起こるか分からないですよね。アシスタントを卒業された後は?
藤本 渡辺さんのもとには4年半いまして、その後、約半年間ほどインドへ一人旅に行きました。
――えっ!? これまでお聞きしたカメラマンさんのお話だと、アシスタント卒業後は、仕事獲得のため必死に営業されているイメージだったので、意外な進路にビックリです。
藤本 あはは。どうしても、若いうちに旅がしたかったんですよ。それこそ、仕事が始まるとなかなか旅なんて行けないでしょう? スタジオを辞めた後も、どこにも弟子入りが叶わなければ、旅に出ようと思っていたくらいなんです。言うほどお金はなかったものの、絶対に良い体験になると信じていましたからね。
――そういえば前回も、浪人期間中に旅に出ようとして、親御さんに止められたと話していましたね(笑)。もともとインドには興味があったんですか?
藤本 旅をするならアジアが良いなとは思っていましたけど、具体的にどことは決めていませんでした。インドを選んだのは、アシスタント時代にお付き合いのあった方が勧めてくださったことと、沢木耕太郎さんの『深夜特急』や藤原新也さんの『印度放浪』など、インドを舞台にした著書を読んだことが主な理由ですね。犬が人間の遺体を食べているとか、そういう世界観を知って、ますます興味を持ちました。
――“インドに行くと人生観が変わる”とはよく言いますもんね。実際、行かれてみてどうでした?
藤本 1週間で帰りたくなりましたよ(笑)。どこへ行っても暑いし、日本人だと分かった途端、ぼったくられるし……。とはいえ、さすがに1週間で音を上げて帰るのはカッコ悪いと、しばらくは気合いで滞在していました。そうしていくうちに、だんだんインドの環境にも慣れていきましたけどね。半年の間で、首都ニューデリーから左回りで南方へ行き、そこから右回りで北上。コルカタ、バラナシというガンジス川がある地域を渡って、インドを一周しました。
――インド一周をする中で、特に印象的だった体験というと?
藤本 ここでは話せないエピソードも含めて、印象的な体験しかなかったですよ。強いて言うなら、インド人のガイドさんと二人でラクダに乗って、気温40度超えの砂漠を巡る“キャメルサファリ”という観光ツアーがあって。夜になると、何もない砂漠のど真ん中で、ガイドさんが火を起こして作ってくれたカレーを食べて、コットという組み立て式のベッドで眠るんです。その時見上げた星空は、言葉にならないくらいの美しさでしたよ。あの絶景は、いまだに忘れられません。
――おぉ、砂漠で見上げる星空ですか。ロマンチックですね!
藤本 で、朝になるとウンコがしたくなるじゃないですか(笑)。近くにトイレはないものの、人もいないので、その辺の砂の上で用を足すんですけど、どこからともなくフンコロガシがブーンと飛んできて、ピタッと僕のウンコの上に止まるんですよ。それで、良いサイズだけを取って、コロコロ転がして、またどこかへ消えていくんです。スゴくないですか!? その後も、3匹ほどのフンコロガシが交互にやってきて、気がついたら、綺麗さっぱり僕のウンコがなくなっているんです。「自然の循環ってすげぇー!」と思いましたね。って、ロマンチックな話の後に、下品な話をすみません(笑)。
――いやいや、スゴい話ですよ! 日本で暮らしていたら、まず体験できないことですからね。
藤本 先ほど、日本人だと分かった瞬間にぼったくられると話しましたが、その“ぼったくられる”という感覚も、僕らが勝手にそう捉えているだけなんですよね。インドで買い物をする時、値下げ交渉は当たり前。明らかに高い値段を提示されたとしても、お金を払った時点で、“その値段で納得したうえで購入している”と見なされるわけです。それは、ぼったくりでも何でもない。僕らと違う価値観があるだけです。半年間、インドで過ごして、あらゆる物の見方、考え方が変わりましたね。同時に、心が広くなった気もします。うん。今思い返しても、インドに行って良かったと言い切れますよ。
――まだまだインド話を聞いていたいところではありますが……、帰国後は、仕事を得るために営業を?
藤本 いや。インドから帰ってきて当月の家賃を払ったら、銀行残高が300円になっちゃったので(笑)、急いで週払いのアルバイトを始めました。一応、インドへ行く前に、貯金がどれくらい残るか計算して行ったんですけどね。でも、何でもできると思いました。過酷な環境のインドで半年間も生活できたんだから、衛生的で平和的な日本でなら、怖いものは何もないと。根拠のない自信と、心の余裕が持てたおかげで、変に焦ることもなかったです。寝袋片手に、友達に借りたマウンテンバイクで東京から実家の山口まで帰ろうとしたこともあったなぁ……。結局、名古屋で断念して、普通に新幹線で帰りましたけど。
――な、何でもできるって、そういうことなんですか!?
藤本 あはは。そういう無謀な挑戦も含めて、ですね。まぁ、何でもできる気がするだけで、本当に何でもできるわけじゃないと思い知らされる経験にもなりました(笑)。あっ、この間、写真は一切撮らなかったですね。
――自由というか、思い切りがいいというか。インド放浪が、今の藤本さんの人柄に大きく影響していることは、何となく分かりました(笑)。
藤本和典 編・第三話は11/18(金)公開予定! 仕事を通して知ったグラビアの自由性「10枚中1枚くらいは、ピントが合ってない写真があっても良いんだって」
藤本和典プロフィール
ふじもと・かずのり ●カメラマン。1977年生まれ、福岡県出身。
趣味=キャンプ、ゴルフ、バイク、スケボー、スキー
カメラマン・渡辺達生氏に師事し、2008年に独立。
主な作品は、手島優『Thank Yuu!』、広瀬すず『SUZU』、土屋太鳳『初戀。』、星野みなみ『いたずら』、北野日奈子『空気の色』『希望の方角』、飯田里穂『永遠と一瞬』、山崎真実『ひととき』、横山結衣『未熟な光』、阿部夢梨『ゆめり日和』、長尾しおり『少女以上、大人未満。』、あまつまりな『See-through』、東村芽依『見つけた』、高梨瑞樹『はだかんぼ。』、和泉芳怜『可憐な芳怜』、森みはる『Lastart』など。2021年には、tokyoarts galleryにて、グラビアアイドル・菜乃花とともに写真展「かわいいじゃない。」を開催。他、各誌で男性ポートレートやカレンダーなども手掛ける。