『初グラビア物語~My First Gravure Story~』第1回前編 大原優乃

グラビア界で活躍する女のコたちにとって、人生で一回きりとなる「初グラビア」。その瞬間を、彼女たちは一体どんな思いで迎え、カメラの前で何を思ったのか。そんな初グラビアにまつわるエピソードを聞いていく連載シリーズ。

 

今回は、現在女優としても活動する大原優乃さん。彼女は週刊プレイボーイ2017年7月10日号に初登場。その明るく人懐っこい笑顔と健康的なスタイルは読者を魅了し、半年後にはファースト写真集をリリースするほどの人気を博した。果たして彼女はどんな思いで初グラビア撮影を迎えたのか。じつは大きな決心がそこにはありました。

 

ーー大原さんが週刊プレイボーイで、初グラビアを披露していただいたのは2017年28号。もともとどんな経緯でグラビアをやることになったのでしょう?


大原 メンバーとして活動していたグループ(Dream5)が2016年末に活動休止になりました。イベント、リハーサル、レッスンなど、毎日のようにあったものが全部なくなり、やることがなくなってしまいました。どうしていいかわからない中、覚悟を決めて、当時のマネージャーさんにグラビアをやりたいと相談したのがきっかけです。


ーーそうなんですね。自ら志願をされたと。いま「覚悟」と言われましたが、ご自身の中では大きな決断だったんでしょうか?


大原 はい。ずっと胸が大きいことがコンプレックスでしたし、あとグループ自体、子供向け番組から始まったこともあって肌の露出は控えていたんです。なのでグラビアは自分にとってものすごく遠いところにありました。ただ当時お世話になったスタイリストさんがおっしゃった言葉が心に残っていて。


ーーそれはどんな?


大原 私の胸を見て「いつかそれが武器になる日がきたらいいね」って。漠然と聞いてましたが、「武器」って言葉が印象的でした。


ーーそれまでグラビアは見たことがあったんですか?


大原 ほとんどなかったです。でも挑戦してみようと思ってからは週プレさんとか、いろんな雑誌を見て研究しましたね。




初登場時のグラビアと未公開カットで構成したデジタル写真集『実は私、○○だったんです』(撮影/藤本和典)より


ーーまったくわからない世界に思い切って飛び込んだんですね。ちなみにグループが活動を終えた直後は何をされてたんですか? 


大原 今後のことを考えて、いろんなエンタメの映像を見たり、あとひたすら自分を見つめ直したり。でも考えれば考えるほどどうしていいかわからなくなるんですよね。10歳から約七年間、グループで動いてきたので。


ーー芸能界から離れる、あるいは一時的にでもお休みして、まわりの友達のように普通の10代に戻ろうとは考えなかったんですか?


大原 ちょっとだけ考えました。でもずっとやってきたことを諦めたくなかったんです。あと今まで自分はダンスしかやってこなかったので、普通の生活といってもまったくイメージできなくて。それまではダンサーとして一生、やっていきたいと本気で思っていたんです。でもダンスで食べていける人はほんの一握り。だから難しいかもしれない。じゃあ何をしよう、とにかくできることを何かしなきゃって。一時だけでも休もうなんて考えられなかったです。


ーーたくさん悩んだ末の決断だったと。


大原 はい。昔、お世話になったマネージャーさんに「1を10にする手助けはできるけど、0から1にするには本人がどうにかしないといけない」と言われたことがあって。どんなことでもいいので、自分からやるしかないのかなと思ったんです。


ーー週プレの編集部に顔見せに来た時の心境は?


大原 すごく緊張しました。私、オーディションとか顔見せってしたことがなかったんです。なので編集部の方を前に何を話せばいいかさっぱりわからなくて。


ーー担当編集によれば、大原さんは快活にお話しされていたと言ってました。その時点でキャリアもあったし、当然だろうなと。モジモジして何も話せないタレントさんもいますから。


大原 そうなんですね。でも自分は何を話したのか覚えてないです(笑)。ひとつ記憶にあるのは編集さんがDream5も「妖怪ウォッチ」も知らなかったこと。エンタメに疎いんです、なんて言ってましたけど、それを聞いた瞬間、「あ、終わったな」と頭が真っ白になりました。


ーー紅白にも出たことがあるのに(笑)。でも編集からしたら、先入観なく大原さんとお会いできたわけですからね。翌日、テストシュートをしたとか。


大原 翌日でしたっけ? でも確かにしましたね。1ポーズかな。


ーー当時は鹿児島の実家にお住まいで、上京する機会が多くないからすぐやろうって。水着を着たのは初めてですか?


大原 いえ、ずっと水泳をやっていたので。でも水着姿であんな風に撮られたのは初めてでした。どうしていいか、わからなかったですね。


ーーそれまでモデルとしても活動していたでしょう?


大原 いやいや。全然別の仕事ですよ。ファッションもダンスも洋服や音楽など何かが先にあって、それを全身で表現するものじゃないですか。でもグラビアは自分自身を撮ってもらうものというか。ひたすら戸惑いながら、体をこっちにとか、手をこうしてとか、言われた通りをやってました。


ーー恥ずかしさは?


大原 もちろんありました。いまもありますよ。でも覚悟を決めて臨んだことだし、仕事なのでそんなこと言ってられないと思って。そこは見せないようにしていましたね。


ーー立派です。テストシュートは無事終了。それで正式に撮りましょうというお話が決まって。


大原 すごく嬉しかったです。連絡が来るまでは、決まるか不安で、事務所の方に「どうなりました?」って聞いたと思いますね。



*第1回後編は、6月9日(水)配信予定です


* * *


週刊プレイボーイ・担当編集が語る、大原優乃さんの初グラビア


優乃ちゃんと初めて会ったのは、4年前、2017年の春頃です。当時のマネージャーさんと一緒に編集部へ顔見せにきていただきました。


事前に、Dream5の元メンバーで、「ようかい体操第一」で紅白にも出場したことがあると聞いてはいたんですが、僕はそのグループのことをよく知らなくて。ちょっとガッカリさせたかもしれません(笑)。芸能活動が長いせいか、すごくハキハキと話をしていたし、とても明るくてかわいい女のコだなと思いましたね。


たまたま翌日、撮影があってスタジオをおさえていたので、テストシュートをさせてもらったんですけど、すごくびっくりしちゃって。スタイルがすばらしいんです。顔見せの時はわからなかったから、インパクトは余計に大きくて。その時ですね。グラビアをやったら絶対に反響があるだろうと思ったのは。


初グラビアのロケ地は千葉のハウススタジオです。彼女の可愛らしさ、健康的な魅力を収められたらとストレートに撮りました。


撮影中に覚えてることは、やっぱり彼女がとても緊張していたこと。あとはスタッフ全員がやたら「かわいい!」と言っていたことですね。もちろん普段から場の雰囲気を盛り立てるため「かわいい」って言うことは言うんですが、あの時はものすごく多くて。あれほどみんなが言うのも珍しいなと思いましたね。


デジタル写真集『実は私、○○だったんです』(撮影/藤本和典)より


この初グラビアは思った通り、いや想像以上にすごい反響でした。すぐ次回の撮影が決まり、週プレnetとも連動。ロケ地も奄美大島、サイパン、タイと国内外のいろんなところへ行き、1年もたたずに写真集も出しました。毎回、誌面に出ていただく度にどんどん読者の声が大きくなるので、自分でもびっくりするほどでしたよ。


彼女の魅力ですか? やっぱり王道ってことじゃないですか。あどけなさの残る可愛らしい顔立ちをして、スタイルが圧倒的に良い。誰が見たって「かわいい!」と言ってしまう。そんなわかりやすさがあるんだと思います。


これは初グラビア以降の話ですけど、優乃ちゃんは泊まりのロケが終わると、毎回スタッフに手紙を渡してくれていたんです。滞在中、どこかで絵葉書を手に入れ、最終日の夜、自室で一枚一枚書くみたいで。僕もかれこれ5~6通もらいましたけど、もらうたびに温かい気持ちになるんです。そんな彼女ですから、大勢のファンが応援したいって思うのはわかりますよね。


実は私、○○だったんです」(週刊プレイボーイ2017年7月10日号)撮影/藤本和典


<週プレ PHOTO BOOK> 大原優乃「実は私、○○だったんです」 撮影/藤本和典 価格/1320円(税込)

 

大原優乃(Yuno OHARA)

1999年10月8日生まれ 

鹿児島県出身 身長154㎝

2009年11月、Dream5としてCDデビュー。2014年妖怪ウォッチ「ようかい体操第一」エンディングテーマを担当し、社会現象に。同年、紅白歌合戦にも出演。

Dream5活動修了後は、モデルとして活動。また2017年、週刊プレイボーイでグラビアデビューを果たし、瞬く間にブレイク。現在はテレビ、ラジオでも活躍中。

公式Twitter【@Yuno__official】

公式Instagram【@yuno_ohara】

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