2021年4月18日 取材・文・インタビュー写真/大村克巳
おかげさまで2021年に創刊55周年を迎える『週刊プレイボーイ』。
“週プレ”の華はいつの時代も、その時代に生きる日本中のオトコたちの心と体をつかんだ、他の雑誌よりページ数が断然多い、そのとき日本で一番のオンナたちが彩る「グラビア」ページだった!
そんな各時代の誌面に登場してくれた“伝説のオンナ”たちに会いに行き、グラビアの魅力を改めて紐解くインタビュー連載企画の第1回目には、“やべっち”の愛称でおなじみ、バラエティにドラマに映画で大活躍を果たし、いまでは飲食店の経営者、地方競馬の馬主としても才覚を発揮する矢部美穂さんが登場。
日本国内で雑誌が史上最高の売り上げを記録した1995年に週プレのグラビアデビューを果たした矢部美穂さんに聞く、矢部さんにとっての「90年代のグラビア」とはいったい何だったのか?
取材・文・インタビュー写真/大村克巳
* * *
2021年3月31日水曜日。
桜満開の季節、マスク姿の人並みを抜けて約束の時間に彼女のオフィスに着いた。しばらくして春風のような笑顔で「矢部美穂」は僕の前に現れた。
写真は後で、とりあえずお話メインでお願いします。
そう告げると「大丈夫です」と軽く頷きこの企画に合わせたインタビューが始まった。
――『週刊プレイボーイ』は今年で創刊55年を迎えました。
矢部 すごいですね。こう生き残ってることが素晴らしいですよね。だって、私がやってた当時のグラビア雑誌とか、無くなったのがいっぱい。
確かに、“生き残る”という言葉が切実に響く時代に僕らは生きている。
――ここからは矢部さんの登場されたグラビアを見ながらお話を聞かせてください。
矢部 これ全部、私? そうなの、この厚み。
かつての自分が、目の前に広がる週プレのグラビアの中にいる。しばらく彼女は止まった時間を覗き込むように目を細めた。
矢部 これ17歳の私ですか?
――週プレ初登場のグラビアですね。
矢部 デビューが92年、『Momoko』のグランプリを獲って……しばらしくしてから出てるって感じですかね。
――まず、この17歳の写真、覚えてます? 撮られたこと、その時のこととか?
矢部 撮られたこと、そのことは全く……ごめんなさい。さすがにもうね。
――覚えていない?
矢部 だって何年前ですか? 今年の6月で44歳ですから。
――そっか、でもカメラマンの人は覚えてると思いますよ。
矢部 逆に?
――僕、撮った人全部覚えてます。
矢部 それはすごい。ごめんなさい、忘れちゃって。たぶん、この当時って今と違ってすごくグラビアが重宝されてたっていうか、グラビア全盛の時代だったじゃないですか。グラビアからテレビにも出れるような登竜門みたいな形だったので。忙しかったから、多分忘れちゃってる。ただこの写真見ると、ああって思うんですけど……。10代だと余計わかんない。正直な話。
週刊プレイボーイ1995年10号より 撮影/松本昌久
――17歳のこの写真、僕が見て感じたのは、表情ができてしまっているということ。大人になる速度が速かったのかしらって思いましたね。
矢部 なるほど、それは合ってますね。大人の階段登ってる最中というか。今の方もっと速くないですか? どうなんですかね?
――わからないですね。言えるのはこの時期ってフィルムの時代で、世の中がアナログの時代だったんですね。デジタル社会になって変わったかもしれません。それを踏まえて改めて17歳のこの写真を見て、どう思いますか?
矢部 第一印象、若いって思います。どう考えてもね。ちょっとイモっぽい。
――イモっぽい?
矢部 全体的にまだアカ抜けていない。この表情イモっぽい感じ。
――でも男性としては、こういう素朴なスレていない感じがいいと思う人はたくさんいますよ。僕とかね。
矢部 ほんとですか? だから女子がいいって言っても男性は好きじゃなかったり、男性が好きな写真は女子が嫌いだったり。ちょっと間の抜けたものを男性は好きだったりするじゃないですか。そこってやっぱり男性目線、女性目線で全然違うなと。今もそうでしょ。
――次の写真を見てください。
矢部 急になんか大人。これ同じですか?
週刊プレイボーイ1995年10号より 撮影/松本昌久
――そうなんですよ。同じ号に掲載されているんですよ。
矢部 何か全然違うんですよね。女子、女性、女っぽい。何かこれ昭和感がすごいポーズ。今、こんなポーズってあるんですか? なんか昭和感漂いません?
――やはり胸の谷間とヒップラインを強調するという……。
矢部 王道ですね。
――編集者からのリクエストがあったのか、もしくはカメラマンの方の黄金比なのか、その辺はあると思うんです。けど、俄然ここに来て少女からもうプロの表情ですね。
矢部 確かにプロの表情になってる。同じ日なんですね。
――だから構成が上手だなと思いました。ここに大人っぽいものはたぶん入れてみたんでしょうけど、最初はあどけないほうがいいと。で、パンとこうインパクトを持ってくる。この流れポージングはカメラマンさんからの指示ですか? 自分からやった感じあります?
矢部 この頃はまだ自分で動けなかった。縦位置でとか横位置とかの指示はあったと思う。そこで寝そべって、とかね。自分からは動けないですよ。
――良い意味での昭和感ですね。
矢部 はい。すごくいい、昭和感がある。
次の写真に視線を向けて彼女が言う。
矢部 そう。これ覚えてるわ。東京ではなく泊まりで、たぶん行ってますよね。何処にいったんだろう。何か、そう、これニップレス見える見えないとかで大変だった。
週刊プレイボーイ1995年10号より 撮影/松本昌久
――ニップレス攻防戰ね。
矢部 そうそう。今って、すぐ全部修正できるじゃないですか。この頃って修正なんてしてくれなかったから、もっと鮮明というか生々しい肌の感じが出るでしょ。それが売りだったというか。今はそれがあまりないですね。
――つるっとしてますもんね。
矢部 つるっとしてると男の人は物足りないでしょう。でも女子はそうじゃないと嫌なんでしょう。
――かつてはひとつのシワを修正するのにも、結構お金も時間もかかりましたからね。
矢部 今の子と比べてもしょうがないけど、結構ちゃんとしてないと全部あらがでちゃうから、プロ意識が高くないと難しかった。今のグラビアの子が、修正してくれるから大丈夫、とか言うの聞くと、「修正? 一応プロなんだからちゃんとしてよ」って思うじゃないですか。そこの温度差って絶対あると思う。
――改めて週プレ初登場の17歳の矢部さん、結構攻めてますよね。胸のあたりの開き感とか、全体的な雰囲気が。
矢部 そうですね。グラビアに出ると露出勝負になっていくんですね。週プレはたくさんの人が見てくださる雑誌だから頑張れたんだと思います。雑誌を選んじゃいけないけど、業界の人も見るわけだし自然と力が入りますね。
――週プレが55年間走り続けられるのも、たくさんあるコンテンツの真ん中でグラビアが華であり続けたからだと思います。
矢部 今こうして写真を見ると、これは田舎から出てきた感じだし、こっちは何か大人。全然違いますよね。一枚一枚見てもね。
――写真の面白さってそこですね。
矢部 見てて思います。
*第2回は4月25日(日)配信予定です
●矢部美穂(やべ・みほ)
1977年6月7日生まれ。
1992年、雑誌『Momoco』のオーディションでグランプリを受賞し芸能界デビュー。
ドラマ『温泉へ行こう』出演のほか、バラエティ番組やグラビアを中心に活動。
現在、『アウト×デラックス』(フジテレビ)などにレギュラー出演するかたわら、地方競馬の馬主としても活躍の場を広げている。
●大村克巳(おおむら・かつみ)
1965年、静岡県生まれ。写真家。
1986年にJPS展金賞受賞し。99年ニューヨーク・ソーホーでギャラリーデビュー。
2002年日韓交流事業「済州島」を日本と韓国で発表し、
2009年から2017年より毎年「NEWS ZERO展」を開催する。
個展、グループ展の開催多数。
著書に写真集『伝言 福山雅治』(集英社)、
『はだしのゲン 創作の真実』(中央公論新社)など。