週刊プレイボーイ創刊55周年スぺシャルインタビュー『7日間の女神たちへ!!』~1995年の矢部美穂②~

おかげさまで2021年に創刊55周年を迎える『週刊プレイボーイ』。


“週プレ”の華はいつの時代も、その時代に生きる日本中のオトコたちの心と体をつかんだ、他の雑誌よりページ数が断然多い、そのとき日本で一番のオンナたちが彩る「グラビア」ページだった!


そんな各時代の誌面に登場してくれた“伝説のオンナ”たちに会いに行き、グラビアの魅力を改めて紐解くインタビュー連載企画の第1回目には、“やべっち”の愛称でおなじみ、バラエティにドラマに映画で大活躍を果たし、いまでは飲食店の経営者、地方競馬の馬主としても才覚を発揮する矢部美穂さんが登場。


日本国内で雑誌が史上最高の売り上げを記録した1995年に週プレのグラビアデビューを果たした矢部美穂さんに聞く、矢部さんにとっての「90年代のグラビア」とはいったい何だったのか?


取材・文・インタビュー写真/大村克巳


* * *




――で、次の写真です。


矢部 これは覚えてます。カメラマンは藪下(修)さんですよね。これはカレンダーにもなっているしね。下パイを見せるっていうのがテーマかな? 下パイでしたっけ? こういうの。


週刊プレイボーイ1995年29号より 撮影/藪下修


――下乳かな?


矢部 たぶんこの時結構ヒットして、そこから私、「下乳」をこう見せるようになりました。


――そういうのに抵抗はなかった?


矢部 受けが良かったから抵抗なかったですね。喜んでいただければ……。


――素晴らしいですね。


矢部 なんかすごい、評判が良かったのを覚えています。私、特に胸が大きいわけじゃないので。あまり大きいとまた違う感じになってるのかな。見た印象も変わってくると思います。


――なるほど「下乳」が評判になったわけか。


矢部 これ沖縄かな? プーケットかな? これ全部いいロケでした。すごく気持ちのいい撮影でした。カレンダーと写真集もこの時一緒に撮っている。たくさん売れたから、覚えています。藪下さんとの相性も良かった。


――カメラマンとモデルの相性って大事ですね。


矢部 もうパパッと撮ってくれる方がいいですね。ゆっくりだと表情作って、息が止まっちゃう。リズムが合わないとダメですね。藪下さんとはリズムがあった。


――これは藪下さんの名作ですよ、下乳。


矢部 (笑)


――全然エロくない感じで、いたずらっぽいところで仕上がっている。撮影が楽しい、っていう若さもあってね。


矢部 そうですね。丸見えの写真も撮られているけど、基本使わないって信頼関係があったから。


――それだけ信じて撮影ができたってことですね。大事なことです。


矢部 そう、弾けてやれたかな。


――ここまでの写真はロケものですが、さて次に行きましょう。この写真は企画モノのジャンルですよね。


矢部 何でこれをやったんだろう?


――それは僕が聞きたい。


矢部 なぜこれをやったのかな? キャッツアイみたいな。どうしたんでしょうかね?


週刊プレイボーイ1996年49号より 撮影/塔下智士


――この撮影は覚えてます?


矢部 何となく。でも急にテイストが変わるから、どうされたんだろう?


――週プレ側にってこと?


矢部 演出というか、私はこれをやりたいって言ってないです。そんな権限、当時の私にはなかったから。


――これまでの写真と違うモノを、という感じで企画されたかと。


矢部 でも男の人ってこういうのあまり好きじゃないですよね。結局、男性っていかに「おかず」にできるかっていうところで。こちらはいかに「おかず」にしてもらえるか、というのがあるじゃないですか。そこがモットーなので、これは「おかず」にはならないんですよね。だから何でこれをやったのかな、って。


――ストレートな発言ありがとうございます。これはカメラマンとして僕が思うに、ページの流れとして「おかず力」が強いものが続くと、本としてエロ度が強くなりすぎる。そこで緩急のつけ方として、この回はコスプレ的なモードに振ったんだと思います。矢部さんの表現力を引き出す形で。


矢部 写真集の一部なら理解できるけど、これがワンテーマだったから、えーって思いました。


――さっきからね、こちらからは言いにくい「おかず」という言葉をいただいたんで、そちらの話に水を向けたいんですが、この頃から「おかず力」を敏感にリサーチして自分の武器にしようとしていたのかな。


矢部 わからないけど18、19とか、かな? この写真の時はまだですね。言われて、やってる。10代はやっぱりそうかな。嫌なグラビアとか振り返るとあったはずなので。『プレイボーイ』さんはないですけど。


――同じグラビアでもスッタフとの信頼、チーム感がハマらないと気分が乗っていかないでしょ。


矢部 そうですね。現場に入ると、結構入り込んじゃって。気がつくと、こんなことまでやってたな、みたいなね。リクエストに応えなければって。やらない子は多分やらないと思うんですよ。ここまでって決めちゃう。事務所サイドもそうですけど。なんか雰囲気とかでやってしまって、後からアレ?ってこともありました(笑)。


――このコスプレテーマに関してね、現場はプレイボーイの誌面に爪痕を残そうって、気持ちを僕は感じるんですね。


矢部 グラビアが売れる時代だったから余計にですね。他の雑誌でアート感のあるものはやってなかったです。


――それでは次は、カメラマン中村昇さんの写真です。


矢部 また雰囲気が違う。


――まさに中村さんの作品ですね。


矢部 なんかこれ好きですね。たぶん当時はよくわからなくて、好きじゃなかったかも。でも今見ると、光の中の私がいい感じ。自然な感じでメークもナチュラルで。露出してないですよね。そこにびっくりする。この時の撮影のことはよく覚えてはないけれど、今見るとなんかピュアな感じがする。でもこれ20歳なんだ。やべっちは20歳になるって書いてあるから。


週刊プレイボーイ1997年25号より 撮影/中村昇


――当時と今とで、自分のグラビアを見てもこれだけ感じ方が変わる。これも写真の面白いところです。


矢部 柔らかい感じ。一枚の写真に物語があるようで、うまくセレクトしていただいた。


――静かに時が流れている、そんな感じがいいですよね。


矢部 それっぽく見せている感じじゃなくて、自然にできているのがいいって、この写真から感じます。この頃はドラマもやってて一番忙しい時だったかな?


*第3回は、5月9日(日)配信予定です


●矢部美穂(やべ・みほ)

1977年6月7日生まれ。

1992年、雑誌『Momoco』のオーディションでグランプリを受賞し芸能界デビュー。

ドラマ『温泉へ行こう』出演のほか、バラエティ番組やグラビアを中心に活動。

現在、『アウト×デラックス』(フジテレビ)などにレギュラー出演するかたわら、地方競馬の馬主としても活躍の場を広げている。


●大村克巳(おおむら・かつみ)

1965年、静岡県生まれ。写真家。

1986年にJPS展金賞受賞し。99年ニューヨーク・ソーホーでギャラリーデビュー。

2002年日韓交流事業「済州島」を日本と韓国で発表し、

2009年から2017年より毎年「NEWS ZERO展」を開催する。

個展、グループ展の開催多数。

著書に写真集『伝言 福山雅治』(集英社)、

『はだしのゲン 創作の真実』(中央公論新社)など。

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