2021年8月22日 取材・文・インタビュー写真/大村克巳
“週プレ”の華はいつの時代も、その時代に生きる日本中のオトコたちの心と体をつかんだ、他の雑誌よりページ数が断然多い、そのとき日本で一番のオンナたちが彩る「グラビア」ページだった!
そんな各時代の誌面に登場してくれた“伝説のオンナ”たちに会いに行き、グラビアの魅力を改めて紐解くインタビュー連載企画。その第4回目には、あの、かとうれいこさんが登場!
野田義治社長率いる芸能事務所『イエローキャブ』の「長女」として、90年代初頭よりグラビアを席巻した“リアル・レジェンド”は、多忙な当時をどう振り返ってくれたのか?
久々に週プレに登場いただいたかとうさんにじっくりと話を聞いた。
取材・文・インタビュー写真/大村克巳
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1990年、バブル経済に踊る日本は欲望と快楽の幻想の中にいた。この時代の熱狂に応えるかのように、週プレをはじめ様々な雑誌で活躍した「グラビアアイドル」。そして、グラビア界を席巻したのが「巨乳」を売りとしたプロダクション、イエローキャブの野田義治社長が手がけた彼女たちだった。
その出世頭として多くの男たちを魅了したかとうれいこさんを迎え、デビュー当時から現在に至るまで、彼女が何を見つめていたのか、お話を聞かせていただいた。
――実は僕、30年前にかとうさんを撮影してるんです。
かとう 本当ですか?
――僕の記憶では『少年マガジン』の表紙、巻頭だったと思います。フォーシーズンズホテルで撮影しました。撮影後に軽食をとっていた時、「なんか面白い話をしてよ」って言われましたね。
かとう まあ、なんて生意気な(笑)。
――僕も「下ネタでよかったら」って返してましたから、生意気でしたね(笑)。懐かしいですね。当時、担当編集者が「かとうれいこ」のスケジュール押さえるの大変だって言ってましたから。
では、芸能界デビュー当時のお話からお聞きしていこうと思います。この世界に憧れとかありましたか?
かとう 高校生の頃かな、80年代アイドル全盛期で皆さんキラキラしていましたから、興味はあったと思います。
――芸能コースがある高校には行かなかった?
かとう はい。埼玉の共学の高校に通ってました。
――近所で評判のかわいい子だったんですね。芸能界にはスカウトですか?
かとう はい。高校の時は親の許しもなくて、大学生になった頃、カメラマンの人に写真を撮らせてほしいって声をかけられて、その写真がきっかけで事務所に入った形ですね。
――その写真がイエローキャブの野田社長の目に留まったんですね。野田さんとの出会いが「かとうれいこ」の運命を作ったわけですが、初めて野田さんと会った時の印象など教えてください。
かとう 最初に電話があって、待ち合わせたのが野田さんが事務所のように使っていた乃木坂の喫茶店でした。お店に入って「あの人だけではありませんように」って思った「あの人」が野田さんでした(笑)。
週刊プレイボーイ1990年21号より(撮影/玉川清)
――業界オーラ全開の人って感じですか?
かとう まさに、です。声が大きくて当時のお弁当箱みたいなケータイ電話をガッチャンてね。喫茶店の中で大きな音をたてて。それが出会いです(笑)。
――素敵な出会いですね(笑)。だいたい90年から93年くらいには「かとうれいこ」さんが男性誌をはじめ、いろんな媒体の顔になっていくわけですが、売れてきたという実感はありましたか?
かとう そういう実感はなかったですね。ただ忙しかった。時差ボケだったりね。90年代の前半とかは特に「マルチタレント」って感じで、いろんなお仕事をさせていただきました。いったい自分はなんだって思うぐらい、いろんな仕事をしましたね。ありがたいことですけど。
――わりと思うような仕事ができたんですか?
かとう いや、全然。中途半端というか、これで良いのかなと思いながら仕事していましたね。「今日はパーフェクト」って気分になったことはないです。自分を全て出し切っているんだけれど、「私」じゃとても追いつけないな、と思いながらやっていました。
週刊プレイボーイ1990年21号より(撮影/玉川清)
――でもチャンスがどんどんやってくる。なんでも器用にこなしているように思ってました。
かとう 本当ですか。それは嬉しい。手を抜くとか片手間でやってると思われたくなかったので、一生懸命にやってましたが、パーフェクトではなかったですね。
――最初、セクシー路線で売っていくために水着になることとか、抵抗ありませんでしたか?
かとう 抵抗ありました。
――まあ普通ありますよね。
かとう あります。あります。ぎこちない私をカメラマンさんが上手く撮ってくれてましたね。
★次回更新予定は、8月29日(日)です
●かとうれいこ
1969年2月19日生まれ 埼玉県出身
1989年クラリオンガールに選出され、注目を浴びる。その後、グラビアアイドルの第一人者として数多くの写真集、イメージビデオなどを発表。また、タレントや女優、歌手とさまざまな分野で才能を開花させた。2001年の結婚を機に仕事をセーブ。
2012年から芸能活動を再開し、バラエティやドラマ、イベントなど幅広く出演している。
●大村克巳(おおむら・かつみ)
1965年、静岡県生まれ。写真家。
1986年にJPS展金賞受賞し。99年ニューヨーク・ソーホーでギャラリーデビュー。
2002年日韓交流事業「済州島」を日本と韓国で発表し、
2009年から2017年より毎年「NEWS ZERO展」を開催する。
個展、グループ展の開催多数。
著書に写真集『伝言 福山雅治』(集英社)、
『はだしのゲン 創作の真実』(中央公論新社)など。