週刊プレイボーイ創刊55周年スぺシャルインタビュー『7日間の女神たちへ!!』~1990年のかとうれいこ②

“週プレ”の華はいつの時代も、その時代に生きる日本中のオトコたちの心と体をつかんだ、他の雑誌よりページ数が断然多い、そのとき日本で一番のオンナたちが彩る「グラビア」ページだった!


そんな各時代の誌面に登場してくれた“伝説のオンナ”たちに会いに行き、グラビアの魅力を改めて紐解くインタビュー連載企画。その第4回目には、あの、かとうれいこさんが登場!


野田義治社長率いる芸能事務所『イエローキャブ』の「長女」として、90年代初頭よりグラビアを席巻した“リアル・レジェンド”は、多忙な当時をどう振り返ってくれたのか?


久々に週プレに登場いただいたかとうさんにじっくりと話を聞いた。


取材・文・インタビュー写真/大村克巳


* * *


――週プレ初登場が1988年(昭和63年)なんですね。初々しいですね。この頃から水着の写真は結構撮られてました?


かとう そうですね。まだ慣れてはいないですね。


――仕事では水着になってた比率が高かったのではないかと思いますが、カメラマンから無茶な注文とかされて、嫌だと感じたことはありませんでしたか? それが、僕だったりして。


かとう それはないです。あったら絶対覚えてますから(笑)。撮影でものすごく嫌だなと思ったことはないですね。



――この企画でお会いしたゲストの方で、僕が撮影したことがあるモデルさんは、かとうさんが初めてなんですね。昭和のバブルから平成、令和と同じ景色を見ていた方と対峙してお話していると、自分の人生の軌跡がクッキリと浮かぶのがなんか不思議です。


かとう 私のデビュー当時は、グラビアカメラマンは大御所と呼ばれる人がたくさんいましたから、大村さんのように若い方はいなかったんじゃないですか?


――少なかったと思います。皆さんキッチリ修行してデビューしてますから。僕は大学卒業してファッションスタジオで半年バイトしてフリーになったんで、22歳ですかね。今、思うと無謀としか言えません(笑)。


このインタビューの資料を集めていただいて、その中に僕の週プレのデビュー作があって、テンション上がりましたね。90年に表紙と巻頭グラビアやってますね。


かとう すごいですね。若手のホープじゃないですか(笑)。


――でも、その後かとうさんからのご指名もなかったから、嫌われてたんでしょうね。生意気でしたから。


かとう それはないですよ。私がカメラマンの指名したことありませんもの。大丈夫ですか、私との撮影がトラウマになってません?


――実は……、嘘です(笑)。全然ありません。眩しい青春の思い出です。


今から思えば、バブル経済が92年に崩壊するんですが、しばらくこの業界は羽振りがよかったですね。海外ロケは多いし、贅沢な撮影ができましたね。


かとう 雑誌に勢いがありましたね。週プレさんや他の男性誌やマンガ誌のグラビアも、元気でしたね。


週刊プレイボーイ1993年7号より(撮影/庄嶋與志秀)


――当時は、かとうさんのスケジュールに合わせて、いくつもの雑誌がロケ先で交代で撮影する、なんてよくあったでしょう?


かとう カメラマンさんが変わらないで、いくつもの雑誌の撮影をするとか、よくありましたよ。


――1991年の湾岸戦争の時は、海外にいけないから沖縄のビーチに男性誌のカメラマンがずらっと並んで、撮影会みたいでね。シュールな風景でした。


かとう やっぱり気持ちのいい撮影をしたいから、ロケーションは大事ですね。


――特にお気に入りのロケ地はどこでしたか?


かとう ハワイとロスですかね。空気が乾いていて、光が綺麗な感じがいいですね。サイパンもグアムも撮影は多かったし好きだけど、アジア感が強いから。


週刊プレイボーイ1993年7号より(撮影/庄嶋與志秀)


――わかる気しますね。僕は、サイパンはすごく好きで。30年前は、島にやっとひとつ信号ができたとか、そんな感じでした。牧歌的で良かったですね。もう全然行ってないけど、あの頃よく行った日本料理店とか、今あるのかな。しばらくサイパンへの直行便がなくなって、かつての勢いはないって聞きましたけど。


かとう 実はコロナ前に仕事でサイパンに行ったんです。かなり寂しい感じでしたね。


――観光の絶頂期を知っている僕たちからすれば、サイパン頑張れって感じですよね。直行便も今はあるそうですから、コロナ明けたら行きたいですね。


かとう サイパンもコロナが明けて、日本が盛り上げていければいいですよね。


★次回更新予定は、9月5日(日)です


●かとうれいこ

1969年2月19日生まれ 埼玉県出身

1989年クラリオンガールに選出され、注目を浴びる。その後、グラビアアイドルの第一人者として数多くの写真集、イメージビデオなどを発表。また、タレントや女優、歌手とさまざまな分野で才能を開花させた。2001年の結婚を機に仕事をセーブ。

2012年から芸能活動を再開し、バラエティやドラマ、イベントなど幅広く出演している。


●大村克巳(おおむら・かつみ)

1965年、静岡県生まれ。写真家。

1986年にJPS展金賞受賞し。99年ニューヨーク・ソーホーでギャラリーデビュー。

2002年日韓交流事業「済州島」を日本と韓国で発表し、

2009年から2017年より毎年「NEWS ZERO展」を開催する。

個展、グループ展の開催多数。

著書に写真集『伝言 福山雅治』(集英社)、

『はだしのゲン 創作の真実』(中央公論新社)など。

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