2021年9月12日 取材・文・インタビュー写真/大村克巳
“週プレ”の華はいつの時代も、その時代に生きる日本中のオトコたちの心と体をつかんだ、他の雑誌よりページ数が断然多い、そのとき日本で一番のオンナたちが彩る「グラビア」ページだった!
そんな各時代の誌面に登場してくれた“伝説のオンナ”たちに会いに行き、グラビアの魅力を改めて紐解くインタビュー連載企画。その第4回目には、あの、かとうれいこさんが登場!
野田義治社長率いる芸能事務所『イエローキャブ』の「長女」として、90年代初頭よりグラビアを席巻した“リアル・レジェンド”は、多忙な当時をどう振り返ってくれたのか?
久々に週プレに登場いただいたかとうさんにじっくりと話を聞いた。
取材・文・インタビュー写真/大村克巳
* * *
――24歳で写真家の小沢忠恭さんと納得いく写真集ができて、グラビアは卒業かなって思いませんでしたか?
かとう 確かにどんどん若い子は出て来るし、違う何かを獲得しなければって考えるようにはなりました。グラビアをやめるとかはまだ考えていなかったけど。
本当にありがたいことに、いろんな仕事をさせていただきました。でもグラビア以上のインパクトは残せなかった。そこから抜け出すことは難しかったです。
――紙媒体で写真のレタッチ修正ができない時代のモデルさんは、見られる仕事としては「アスリート」っぽい感覚でしたよね。
かとう あの頃の自分の姿をこうして記録してもらえることは、「青春の形」として本当に贅沢だと思います。ですから、どうか「週プレ」さんなくならないでください。
週刊プレイボーイ1990年49号より(撮影/中村昇)
――我々世代は紙媒体がなくなるたびに、「歳月」を感じますからね。
かとうさんはご結婚後、芸能界から一度外に出て、客観的に日本のエンタメを見ることができたと思います。その時はどんな感じでした?
かとう 実は主人の仕事でアメリカに行ってました。ちょうどその時同時多発テロがあったり、いろんな経験をして、30代は子育てで必死でした。だから日本の芸能界のことは全くわからなくて。今の男の子もグラビアは好きなんだと思います。そこは変わらないでしょう。ただね、生きにくい世の中になっていることは間違いないと思います。
――かとうさんから観て、今のグラビアアイドルってどう映りますか? またこれからグラビアアイドルを目指す人たちに、かとうさんからアドバイスいただければと。
かとう 難しいな。ただ、グラビアの子は遠すぎてもダメで近すぎてもダメ、そんな気がする。今のアイドルの子はSNSでいろいろ調べられて大変だと思うけど。距離感が大事なんでしょうね、きっと。
週刊プレイボーイ1990年49号より(撮影/中村昇)
インタビューの終盤、僕はコロナ禍のこの世界を彼女がどう感じているのかを聞いた。
かとう まさか、です。100年に一度の伝染病。若い子たちはエネルギーの持っていき方が大変だと思う。でも必ずいい方向に向かう、そう信じて諦めないでほしい。時代にはいい波も良くない波もあるから。いつもいい波に備えていきましょう。
――そうですね。いい波に備えたいですね。
* * *
インタビューの最後に唐突に、
“「かとうれいこ」はもう、水着になることはないんですか?”
と尋ねたら、いたずらそうな笑みを浮かべて「どうでしょう?」と僕を覗き見た。
少し間があいて「機会があったらぜひ、撮ってください」と答えた。
時代というものを、彼女は「波」と表現した。良い時もあれば悪い時もある。「今」が悪くても必ず良い波が来ると。その時を想像してできる限りの準備をしておくことだと。
バブル経済崩壊から災いの数々を同時代に体験した僕には、その言葉が静かに刺さる。彼女の言葉は「祈り」だ。何もできない、けれども諦めてはいけない。彼女に胸をときめかせて大人になった男たちに、そのことを伝えたい。
●かとうれいこ
1969年2月19日生まれ 埼玉県出身
1989年クラリオンガールに選出され、注目を浴びる。その後、グラビアアイドルの第一人者として数多くの写真集、イメージビデオなどを発表。また、タレントや女優、歌手とさまざまな分野で才能を開花させた。2001年の結婚を機に仕事をセーブ。
2012年から芸能活動を再開し、バラエティやドラマ、イベントなど幅広く出演している。
●大村克巳(おおむら・かつみ)
1965年、静岡県生まれ。写真家。
1986年にJPS展金賞受賞し。99年ニューヨーク・ソーホーでギャラリーデビュー。
2002年日韓交流事業「済州島」を日本と韓国で発表し、
2009年から2017年より毎年「NEWS ZERO展」を開催する。
個展、グループ展の開催多数。
著書に写真集『伝言 福山雅治』(集英社)、
『はだしのゲン 創作の真実』(中央公論新社)など。