週刊プレイボーイ創刊55周年スぺシャルインタビュー『7日間の女神たちへ!!』~2004年の原幹恵①

“週プレ”の華はいつの時代も、その時代に生きる日本中のオトコたちの心と体をつかんだ、他の雑誌よりページ数が断然多い、そのとき日本で一番のオンナたちが彩る「グラビア」ページだった!


そんな各時代の誌面に登場してくれた“伝説のオンナ”たちに会いに行き、グラビアの魅力を改めて紐解くインタビュー連載企画。


その第5回目にはオフィシャルなメディアへの登場が数年ぶりとなる原幹恵(はら・みきえ)さんが登場! その端正な顔立ちと豊かなバストでグラビア雑誌を席巻したレジェンドは、当時をどう振り返ってくれるのだろうか?


取材・文・インタビュー写真/大村克巳


* * *


2003年に第9回全日本国民的美少女コンテスト「グラビア賞」を受賞した16歳の少女は、週プレのグラビアを席巻し、あっという間に読者を虜にしていった。


今回、お話を聞かせていただいた「女神」が原幹恵さんその人である。


2018年の海外留学などの充電期間を経て、2021年、さらに魅力的になった彼女に当時の想いやトップ・グラビアアイドルとしての葛藤などを聞かせていただいた。


――芸能界に興味を持たれたのは、いつ頃からですか?


 子供の頃からです。女優さんになりたいって思ってました。家庭環境で言えば、兄弟と歳が離れているんです。一番近い兄でも11歳離れていて、大人が見るようなドラマや映画を一緒に観ていたんですね。


その中でも一番好きだったのが『プリティ・ウーマン』のジュリア・ロバーツさんでした。でも子供の頃ですから、「女優」ということがよくわかっていなかったと思います。少し大人になって、女優という仕事があるんだとわかって、夢を抱くようなりました。でも田舎に育ったので、どうしたらその夢を形にできるか考えましたね。


――確かに、今と違って情報収集は難しかったでしょうね。


 田舎者だから騙されちゃいけないって(笑)。そういうのもあって、「国民的美少女コンテスト」は有名でしたから、ここなら騙されない、って思って応募しました。


週刊プレイボーイ2005年14号より(撮影/折原洋)


――そうでしたか。結果、見事に入賞をはたして「グラビア賞」ですものね。実際、週プレをはじめとしてグラビアのお仕事に対峙した時は、どんな感じでしたか。


 この「グラビア賞」は実は、私のために作ってくださった賞だと事務所の方から聞いていたのですが、この賞をいただいた時は私、バストが大きいことがコンプレックスだったんですよね。


女優をやりたいのにどうして「グラビア賞」?って。そのことは事務所の方も感じ取ってくれて、グラビアを始めるまでに少し時間をつくってくれました。


週刊プレイボーイ2006年21号より(撮影/橋本雅司)


――初めて水着になった時は、どんなお気持ちでした?


 最初はひとりじゃなかったんです。5人のメンバーで活動していて。緊張していてガウン脱ぐのも嫌でした。でも、いざ撮影が始まると空気感とか馴染んできて、楽しくなってきました。


出来上がったポラロイドを見て「私の体、キレイだったんだ」って感じて。そこでやっと自分のコンプレックスが克服できた気がします。


週刊プレイボーイ2006年40号より(撮影/小塚毅之)


――プロのカメラマンに撮られて、いろんな角度から自分を見つめられる。新しい発見ですね。


 そうですね。これが私の武器なんだって気がつきました。


――美醜については個性だし、これはどうしようもないですから。美しさは才能です。あとはそれをどう磨いていくか、ですよね。


 私の場合は、お仕事の現場ですごく引き出していただいたな、って感じです。現場がすごく楽しかった。ロケにもたくさん行かせていただいて、スタッフの方々と一緒にモノづくりしていることが気持ちよくなっていったんです。



★第2回は、11月21日配信予定です


●原 幹恵(はら・みきえ)

2003年、全日本国民的美少女コンテストにて、グラビア賞受賞しデビュー。

2007年には『キューティーハニー THE LIVE』(テレビ東京系)にて連続ドラマ初主演。

その後も2009年『嬢王 Virgin』(テレビ東京系)にて主演を務めるなど、映画、ドラマ、CM、舞台、バラエティーなど数多く出演。

Instagram【https://www.instagram.com/mikie_hara.official/】

YouTube『オトナを楽しめ!』【https://www.youtube.com/channel/UC8jr2pVwyvXBXurvbANU5bg】


●大村克巳(おおむら・かつみ)

1965年、静岡県生まれ。写真家。

1986年にJPS展金賞受賞し。99年ニューヨーク・ソーホーでギャラリーデビュー。

2002年日韓交流事業「済州島」を日本と韓国で発表し、

2009年から2017年より毎年「NEWS ZERO展」を開催する。

個展、グループ展の開催多数。

著書に写真集『伝言 福山雅治』(集英社)、

『はだしのゲン 創作の真実』(中央公論新社)など。


スタイリング/設楽和代 ヘア&メイク/大和田京子

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