2021年11月17日 取材・文/大野智己、撮影/山上徳幸
「週刊プレイボーイ」の誌面を彩り、現在、さまざまな分野の第一線で活躍する女性たち。彼女たちの人生で一回きりとなる「初グラビア」にフォーカスし、撮影にまつわるエピソードや当時の想いを綴る連載シリーズ。
今回は女優の北向珠夕さん。彼女は18歳の時、「週刊プレイボーイ」の2018年21号に初登場。学生時代、バレーボールに命懸けで励んだ経験を持ち、その一切、無駄のない健康的な美ボディは大きな話題を呼びました。
18歳で旭化成のキャンペーンモデルとしてデビュー。将来を嘱望される中での鮮烈なグラビアデビュー。彼女はどんな心境で「週刊プレイボーイ」へ登場したのか。当時のエピソードとともに聞きました。
「週刊プレイボーイ」2018年21号(撮影/桑島智輝)より
ーー北向さんは、学生時代バレーボールにすべてを捧げ、全国大会に何度も出場した熱血スポーツ女子だったと知られています。もともとどんなきっかけでバレーボールを始めたんですか?
北向 二つ上の姉がバレーボールをやっていて、その影響で小学2年生の時に始めました。姉の代は全国大会に出場するほどの強豪チーム。私たちも負けじと練習を重ね、小学5~6年生で全国大会へ出場を果たしました。私はキャプテンを務めさせてもらいました。
ーー中学時代以降、さらにバレーボールに励んだとか。
北向 県下でNo.1の強豪校に通い、連日バレー漬けです。毎日5時間半練習し、毎週末は朝4時から県外へ遠征。気が緩まぬよう、生活面でも自分たちを厳しく律しました。ある時など眉を少し整えたことを理由に、体育館から追い出された経験もあります。そんなストイックな毎日が実を結び、東北大会で優勝、試合では負ける気がしないほどメンタルも強くなりました。中学3年生の時は、県の選抜選手に選ばれ、全国大会に出場しました。高校は地元・青森県を出て、特待生として岩手県の強豪校へ。寮へ入り、文字通りバレーボール一色の生活を送りました。その頃は高校卒業後、実業団へ進み、オリンピック選手になることを目標としていました。
ーーそれほどまでバレーボールに人生を賭けていたのに、怪我が原因で断念したとか……。
北向 高校1年の夏前、練習中に痛みを感じ、しばらくして病院へ行くと「第一肋骨骨折」の診断が。しばらく実家に戻って養生したんですけど、完治が見込めず、結局、秋に退部することになりました。学校も地元の学校へ転校。生活は一変しました。そしてその時の悔しい思いが、芸能のお仕事を目指すきっかけとなりました。
ーーなぜ、芸能界を目指そうと?
北向 じつは中学2年生の時、ミスセブンティーンのオーディションを受けたことがあるんです。その時はファイナルまで残り、誌面にも掲載されました。バレーボールを辞め、実家に戻った後、何もやりたいことがなく『セブンティーン』を毎日眺めていたら、もう一度、芸能のお仕事に挑戦したい気持ちが沸いてきたんです。
ーーとはいえ、芸能人にはなろうと思って、なれるものではないですよね。何か手段を考えましたか?
北向 なんとかスカウトしてもらおうと。「Yahoo! 知恵袋」で「東京」「スカウト」「場所」と検索したところ、「原宿竹下通り」とありました。早速、父に頼み、高2のゴールデンウィークに東京・原宿の竹下通りへ連れていってもらいました。そうしたらスカウトが本当にいて、声をかけていただきました。それが今所属している事務所です。正式にお世話になることを決め、それからは週一度のペースで、演技レッスンを受けることになりました。
ーー青森からだと毎週、上京するのも大変そうですね。
北向 最終の夜行バスで東京へ出かけ、早朝に到着。その足でネットカフェか東京で暮らす兄の家へ行き、レッスンへ。終わったらまた深夜バスに乗って翌朝、帰宅し、学校がある日はそのまま登校。そんな生活が高校2年から3年までずっと続きました。
ーー不安などはありました?
北向 いやもう不安しかなかったです。何よりレッスンで指導されたことがなかなかできずに、落ち込んでばかり。帰りのバスの中で泣いたこともしょっちゅうです。自分は芸能のお仕事に向いてないのかなっていつも思っていました。またレッスンが一緒の女の子が「◯◯の仕事をした」なんて話をするんですけど、それを聞くと焦りもあって。でも自分を信じて、ひたすらレッスンに励みました。
デジタル写真集『鮮烈すぎる初めて。』(撮影/桑島智輝)より
ーー高校を卒業してすぐ、旭化成さんの水着キャンペーンモデルに見事決まりました。
北向 初めて受けたオーディションだったんです。なのでお話を聞いた時はびっくりしましたね。
ーー自己アピールする上で、手応えを感じた瞬間はありました?
北向 審査中はずっと緊張していたので、ほとんど覚えていないです。ただ、青森から夜行バスでここに来たという話とトイレ掃除の話をしたら、ともに驚かれた記憶はあります。
ーートイレ掃除の話、ですか?
北向 深夜バスに乗って翌朝、青森に着いたまま登校するんですけど、早すぎてやることがないんです。なのでトイレ掃除をよくしていました。汚いのがイヤなのと、あとトイレットペーパーを三角形に畳んでおくと運が向くってジンクスがバレーボール時代からあったので、やっただけなんですけどね。
ーーいやいや、素晴らしいと思います。
北向 キャンペーンモデルの発表会は高校の卒業式直後でした。バレーボールを辞めて、応援し続けてくれた家族をガッカリさせた後ろめたさがあったので、すごく誇らしい気持ちでしたね。このお仕事が決まったことで、上京して芸能界でやっていくんだって決意が固まりました。
デジタル写真集『鮮烈すぎる初めて。』(撮影/桑島智輝)より
ーーその後、「週刊プレイボーイ2018年21号」に初グラビアが掲載されますが、これはどんな経緯で決まったんですか?
北向 旭化成さんのお仕事が決まった後、マネージャーさんが編集部に持ち込んでくれました。
ーー恐らくマネージャーさんから「グラビア、やってみる?」ってお話があったと思いますが、男性読者の多い雑誌で水着になることに抵抗は?
北向 まったくなかったです。人前で水着になるということでは、キャンペーンモデルと一緒ですから。それと同じ事務所の華村あすかちゃんが先にグラビアをやってて。あすかちゃんとはお互い東北出身ということもあり仲がよかったので、自分も同じ仕事ができることが嬉しかったです。
ーーそれまでにグラビアを見たことは?
北向 馬場ふみかさんのは見たことがありました。あと私の兄がAKB48の柏木由紀さんのファンで、自分の部屋に水着ポスターを貼っていたんです。しかも3枚も(笑)。だから見慣れてはいましたね。いずれにせよ水着グラビアに抵抗はなく、お仕事をいただけることが嬉しくて仕方なかったです。
*第11回後編は、11月24日(水)配信予定です
<週プレ PHOTO BOOK> 北向珠夕「鮮烈すぎる初めて。」 撮影/桑島智輝 価格/1320円(税込)
北向珠夕(Miyu KITAMUKI)
1999年12月14日生まれ 青森県出身
身長170㎝ B86 W62 H85
特技=バレーボール、球技
公式Instagram【@kitamuki_miyu】