週刊プレイボーイ創刊55周年スぺシャルインタビュー『7日間の女神たちへ!!』~2006年のほしのあき①~

“週プレ”の華はいつの時代も、その時代に生きる日本中のオトコたちの心と体をつかんだ、他の雑誌よりページ数が断然多い、そのとき日本で一番のオンナたちが彩る「グラビア」ページだった!


そんな各時代の誌面に登場してくれた“伝説のオンナ”たちに会いに行き、グラビアの魅力を改めて紐解くインタビュー連載企画。


第2回目に登場するはゼロ年代のグラビアを常にリードし続けた正真正銘のレジェンド・ほしのあきさん。なんと公の場には約8年ぶりの登場となる彼女は、数ある雑誌の表紙をジャックしていたあの頃、一体何を考えながらグラビアに登場していたのだろうか?


取材・文・インタビュー写真/大村克巳


* * *




1990年代に入ってバブルが崩壊すると、快楽のツケが虚無という奈落に吸い込まれていった。


やがて迎えた21世紀、そしてゼロ年代……。「週刊プレイボーイ」のグラビアを席巻する存在が出現する。読者の喪失感を埋めるようにして熱狂的に支持された「グラビアアイドル」。その立役者として人気を集めたのが「ほしのあき」である。


カメラの前に立つのは実に8年ぶりだという。


スタジオで今の彼女を撮影した。かわいさを残したままエレガントな女性となった彼女から、当時の話を聞かせていただいた。


――グラビアデビューのきっかけからお話を聞かせてください。


ほしの 最初、ティーン誌のモデルからデビューしたんです。でもティーン詩のモデルを卒業してから仕事がなくて……。たまに男性誌のグラビアにちょこっと出る程度で、仕事もほぼしない状態が続いていたんです。


何をやるにしてもまず名前が売れないと仕事につながっていかない。そう思った時にコンビニに置いてある雑誌を見て、名前と顔が大きく扱われている男性誌が目に入ったんです。それで、マネージャーと一緒にとにかく営業に行きました。でも、最初の頃はメジャー誌になかなか相手にしてもらえませんでした。


――そうでしたか。意外です。


ほしの ほぼ全部回りましたね。コンビニで雑誌の裏を見て、電話番号と住所、担当者などメモるんです。マネージャーが「今から行ってもいいですか?」って。攻めていきましたね。


――すごい。圧倒されます。


ほしの 暇でしたからね。強引な営業です(笑)。


――その時にグラビアの世界で勝負する覚悟があったんですね。水着はもちろんですが、肌の露出も求められることに抵抗はなかったですか?


ほしの それは全然なくて。抵抗はなかったです。仕事が増えていくと、だんだん布が大きく多くなるパターンでした(笑)。


――世間に知ってもらうための手段として腹をくくっていたんですね。


ほしの はい。全然迷いはなかったです。


――さて、ここから一緒にほしのさんの『週刊プレイボーイ』のグラビアを見ていきましょう。初登場は2001年の50号で、カメラマンは中村昇さんです。インパクトありますね。


ほしの そう? ちょっと痩せてたんですね。この時は。



――グラビアの表現として、男性目線から感じるものと同時に女性目線から見てもグッとくる素晴らしい作品ですね。


ほしの 胸元を全部開けるとか、緊張はしました。初めてのスタイリストさんだったので。


――事前の打ち合わせで決まっていた感じ? それとも現場の流れで?


ほしの そこはよく覚えていないです。でも、覚悟はしていました。


――表情がいいですよね。とても強いものを感じる。これは少年から壮年まで虜にしますね。


ほしの ありがとうございます。


――初登場でこれだけの表現ができるということは、モデルとしての気持ちの作り方から来てる?


ほしの なぜなのか、私、笑うのが得意じゃなかったんですね。どのグラビア見ても笑ってない。青空の下で「ニコ」っていうのは求められてなかったです。廃墟で撮影とか。年齢もあったと思うけど、爽やかな笑顔が求められていなかったから、それが染み付いちゃって。笑っている表情の自分は少ないと思います。


――アンニュイな感じ、そういう自分のほうが好きなのかな?


ほしの そうなのかな? ティーン誌ではニコニコな感じでした。きっと表現の場所がグラビアになったからだと思います。


――なるほど。グラビアでは自分をこう見せていこうと決めたんですね。初登場でこれだけのものを残して、週プレも大満足だったと思います。で、それから次の登場までしばらく時間が空きますね。3年かな。この間、何が起きていた?


ほしの 他の雑誌ではグラビア、ずっとやってましたね。


――そうでしたか。それで3年ぶりに「お帰りなさい」って感じで週プレに戻ってきた。


ほしの 多分、最初はまだお試し的な感じで使ってもらったんでしょうね。テレビにもそんなに出ていなかったし。もう一度出させてもらったって感じです。


週刊プレイボーイ2004年6号より(撮影/西條彰仁)


――グラビアの仕事を続けてきた中で、表情に変化が出ますよね。ほしのさんの場合、童顔でしょ。そこが売りになっている。童顔だけどセクシーっていう所がね。


ほしの そうですね。「童顔」でしたね。


――ロリータコンプレックスの読者だけではなく、愛される女性像が形になっている。


ほしの きっと顔の印象と体のバランスが違うし、年齢もあって、そのギャップが良かったのでしょうか。


――身長も思ったより高いですものね。165センチ位の人は当時は少なかったかな。アイドルの女性は実際お会いすると、小さく感じる人が多いですね。ほしのさんの場合、顔が小さい、線が細い、でも出るところは出ている。アニメ的な印象を与えますね。


ほしの きっと不思議な体型だったんでしょうね。


――ほしのさんのこの感じは、イラストレーターや漫画家にも影響与えたと思います。


ほしの ほんとですか?


――間違いなくね。



★第2回は6月6日(日)配信予定です


●ほしのあき

1977年3月14日生まれ。東京都出身。

高校時代にティーンズ誌『プチセブン』の専属モデルとしてデビュー。

2001年頃よりグラビアで人気に火が付き「最年長グラビアアイドル」として数々の雑誌の表紙をジャック。

その活躍は雑誌だけにとどまらずバラエティ番組でも大活躍した。一児の母。


●大村克巳(おおむら・かつみ)

1965年、静岡県生まれ。写真家。

1986年にJPS展金賞受賞し。99年ニューヨーク・ソーホーでギャラリーデビュー。

2002年日韓交流事業「済州島」を日本と韓国で発表し、

2009年から2017年より毎年「NEWS ZERO展」を開催する。

個展、グループ展の開催多数。

著書に写真集『伝言 福山雅治』(集英社)、

『はだしのゲン 創作の真実』(中央公論新社)など。


★ほしのあき×週プレ【2004~2010グラビアアーカイブス】配信中!

永久保存版! 2004年から2010年までの7年間、ほしのあきの選りすぐりのグラビアをパッケージしたデジタル写真集! 価格 2,200円(税込)




衣装/白ワンピース 68,000円  CORCOVADO

お問い合わせ先 株式会社フィルム TEL03-5413-4141

関連サービス