『初グラビア物語~My First Gravure Story~』 第17回前編 橋本萌花

『週刊プレイボーイ』の誌面を彩り、現在、さまざまな分野の第一線で活躍する女性たち。彼女たちの心に残る「初グラビア」にフォーカスし、撮影にまつわるエピソードや当時の想いを綴る連載シリーズ。


今回、登場するのはモデル、タレントの橋本萌花さん。彼女は『週刊プレイボーイ2020年37号』(9月14日号)に「社長令嬢はウーバーイーツ」というタイトルのグラビアで初水着を披露。そのキャッチーな肩書きと身長173㎝ B86 W56 H89の見事なスタイル、大胆な姿が話題を呼びました。


4歳の頃からダンサー、アーティストを目指し、高校1年生の時、単身上京。数々の挫折を繰り返しながら、現在は雑誌の表紙やグラビアを多数飾る彼女。今回は芸能界を目指すきっかけから、初グラビア前夜までをじっくりと聞きました!



――今日はよろしくお願いします! いやー、想像以上に背が高くてスラッとしたスタイル! しかも美人で、社長令嬢!(笑) まるでドラマに出てきそうな「憧れの女性」です。


橋本 いえいえ。社長令嬢はまぁその通りなんですけど(笑)、美人でもなんでもないですよ。身長が173センチあるので、背が高いとはよく言われますけど。おかげで「怖そう」とか「冷たそう」とか思われて。でも普段、よく笑うし怖くないんですけどね(笑)。


――何より存在感がありますよね。幼い頃から目立っていました?


橋本 どうでしょう。でも目立ちたがり屋ではありました。4歳から金髪にして、ダンスを習っていて、歌うのも大好き。スクールのイベントでステージに立ったりもしたし。将来はダンサーかアーティストになりたいと思っていました。


――4歳で金髪とはすごい! 女優さんは志望しなかった?


橋本 お芝居がダメだったので、思わなかったです。ほかにはモデルに憧れました。昔から背が高かったんです。中学生の頃は1ヵ月で7センチも伸びました。夏休みに眠り過ぎたみたいで、新学期早々に測ったら164から171センチになっていて。


――スケールがでかいですね(笑)。本格的に芸能界を目指すようになったのは?


橋本 中学卒業後、芸能系の高校に入るため上京してからです。でもそこで身の程を知ったというか。学校中、芸能界を目指してみんなギラギラしているし、すでに活躍しているコも多かったんです。


私はそこまでギラギラできなかったし、オーディションを受けても全部ダメで。自分には向いてないのかなって真剣に悩んでいました。それもあって中学の頃から所属していた芸能事務所も高2で辞めて、芸能の仕事はもう諦めようって。


――もう普通の仕事に就こうと?


橋本 いや、それでも歌ったり、ダンスはずっと続けられないかなって。そこで18歳になった後、六本木の「バーレスクTOKYO」で働き出しました。


――連日歌とダンスの華やかなショーを見せるエンタメ系のお店ですね。


橋本 毎日歌える場所があるよって、お母さんに教えてもらって応募しました。だけどいざお店に行ってみたらビックリしちゃって。皆さん、露出が激しいんです。水着は当たり前だし、ポールダンサーの方なんて滑らないためもあるけど、Tバックにブラだけ。いや、これは無理!って(笑)。肌を出すのも苦手だったし、当時はいまより13~14キロ太っていて体型に自信がなかったんです。


――肌の露出のことはお母さんにはお話されたんですか?


橋本 お母さんも知らなかったみたいで(笑)。すぐ辞めさせて欲しいってマネージャーさんに言ったんですけど、逆に「歌えるコがいないから、いまは辞めないで欲しい」と懇願されちゃって。


結局、歌いたい気持ちがあったので頑張ることにしました。でも不思議なことにそう決めたら、衣装が可愛く見えてきて(笑)。ちゃんと着られるようになりたくて、一気に10キロくらいダイエットしました。


――10キロ! それはすごい! 周りは驚いたのでは?


橋本 かなり言われました。何より痩せると自分に自信がつくし、周りに褒められて気持ちも大きくなるじゃないですか。気づいたら、いくら露出度の高い衣装でも平気で着られるようになっていましたね(笑)。


デジタル写真集『社長令嬢はウーバーイーツ』(撮影/栗山秀作)より


――当時は、どんな生活を送っていたんですか?


橋本 いつも夕方から練習して、夜7時にお店がオープン。3~4回くらいショーをやって、深夜に閉店。そこから今度はリハーサルをやって、明け方にやっと帰宅。毎日、本当にハードでしたね。でもおかげで心身ともに相当、鍛えられました。


――聞いた話だと橋本さんは在籍当時、一番人気だったとか。


橋本 あははは。どうでしょう(笑)。じゃあそういうことにしておいてください。私は最年少だったんですよ。だからお客さま、お店のスタッフさん、先輩方にのびのびとやらせていただいて。それもあって、他の方より少し目立ったのかもしれないですね。


――ここまでお話を伺って思ったんですが、橋本さんのお父さんは大手企業の社長さんなんですよね。芸能界を目指す子供がいると、なんらかの形で支援するって方もいるという話をたまに聞きますけど。


橋本 私は何もなかったですね。ウチのお父さんは厳しいんですよ。一代で会社を築き上げたので、やりたいことがあればイチから自分でやりなさいってタイプで。だから私自身もそのつもりでやってきました。


――「社長令嬢」って高級マンションに暮らして、ブランドモノの服を着るみたいなイメージがありますけど。


橋本 私は全然違いましたね。高校時代は寮でしたし、その後も普通のマンション暮らし。ブランドにも興味ないし。どんな辛くても親の支援を受けたことはないです。


――立派というか、根性ありますねー。


橋本 はい。私、根性はあると思います(きっぱり)。あ、でも高校生の頃、親のクレジットカードを使い、アマゾンで生活用品を買いすぎて怒られたことがあるけど。


――買いすぎたって、どれくらいですか?


橋本 2ヵ月で150万円くらい(笑)。でもお金は働き出して、少しずつ返していきましたよ。


――スケールがデカいですね。ちなみにお父さんがお店に来たことは?


橋本 一度あります。「すぐに辞めなさい!」ってめちゃくちゃ言われちゃって。でも成人していたし、自分の力でやりたいことをやって何がダメなわけ?って、大ゲンカになりました(笑)。



――その後、橋本さんはお店を辞めて、芸能界を再び目指しますけど、それはどんなきっかけで?


橋本 お店には結局、2年半くらいいましたけど、じつをいうと当初は芸能界への憧れはなかったんです。このままここで働いて、いつか結婚して辞めるだろうなと思っていました。でも次第に新しいことに挑戦してみたくなってきちゃって。あとお店に芸能界の方がたくさんいらっしゃるんですけど、お話を聞いてると、自分もやっぱりやってみたいって気持ちが沸いてきました。それが21歳の時です。


――でもお店にいれば、人気者なわけじゃないですか。また振り出しから始めるのは、不安じゃなかったですか?


橋本 不安しかなかったですよ。ただある時、いまの事務所の社長と出会って、「諦めてしまうのは勿体ない。年齢的にもまだ間に合うし、最後のチャンスだと思って頑張ってみては」と言ってもらって。


確かにそうだなと思って、事務所入りを決めました。でもその頃、ちょうどコロナがひどくなりだした頃で。仕事どころかオーディションもない。正直、あー大失敗したかなって。絶望に近い気持ちでした。


――やる気だったのに出鼻をくじかれるのは辛いですね。


橋本 本当にそう。貯金を切り崩して生活していましたけど、2ヵ月このままだとどうしようとなって。それで始めたのがウーバーイーツの配達員のバイトです。ウーバーって、自分の都合で働けるんです。だから急なオーディションが入っても、対応できるからいいなって。あとコロナ禍でジムに行けなくなったので、運動代わりにもなるし。


――ウーバーはどれくらいの期間、やってたんですか?


橋本 半年くらい。最近、知り合いに「(橋本さんは)ウーバーイーツ界ではスーパースターだよ」って言われましたけど(笑)、それほど長くはやってないんですよ。でもこのウーバーイーツのバイトが、後に自分のセールスポイントになっていくなんて、当時はまったく思ってもみなかったです。



■橋本萌花(Moca HASHIMOTO)

1998年7月28日生まれ

身長173㎝ B86 W56 H89

公式Twitter【@mokarinko0728】公式Instagram【@moca.gram

公式YouTubeチャンネル『もかちゃんねる』


『社長令嬢はウーバーイーツ』撮影/栗山秀作 価格/1320円(税込)

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